ojihall


Topics  トピックス

王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.29 より

「マイ・ソング」 キース・ジャレット・カルテット

  キース・ジャレット(p)
  ヤン・ガルバレク(sax)
  パレ・ダニエルソン(b)
  ヨン・クリステンセン(ds)

  1977年11月 オスロ/タレント・スタジオで録音

 キース・ジャレットの楽歴の中で、ソロ、トリオと並んで重要なのが、70年代に持った2つのカルテット――アメリカン・カルテットとヨーロピアン・カルテット――でしょう。

 アメリカン・カルテットは、デューイ・レッドマン、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンという、当時の米ジャズ・シーンのスター・ミュージシャンからなるグループで、その音楽はといえば、深淵にして即興性に富み、まさにジャズの未来を切り拓く創造性にあふれたものでした。ただ厄介だったのは、彼らは皆自己主張が人一倍強かったこと。そのためこのカルテットでは、一度歯車が狂いはじめると演奏の収集がつかなくなる事態がしばしば起こりました。この音楽的な行き違いは、次第に人間関係の不和にエスカレートし、終いには演奏中に1人のメンバーがステージを放棄するというスキャンダラスな“事件”にまで発展します(この模様は『心の瞳』というライブ・アルバムに克明に記録されています)。無限大とも思われる表現の可能性を秘めながら、結局アメリカン・カルテットは志半ばで空中分解してしまったのでした。

 しかし一方のヨーロピアン・カルテットは違いました。ヤン・ガルバレク、パレ・ダニエルソン、ヨン・クリステンセンという北欧出身のメンバーたちは、皆そろってキースの熱烈な信奉者。つまりここでのキースは誰はばかることなく、徹頭徹尾自分の音楽を実践することができたのです。ただ、だからといって、彼が全面的独裁的にこのバンドを仕切ったわけではありません。――ここがこの人の懐の深いところなのですが――キースは、ガルバレクをはじめとするメンバーの音楽性を咀嚼し、その音楽性が120%活きるような音楽作りを進めたのです。そしてその結果出現したのは、アメリカン・カルテットとは大きく異なる、北欧の清浄な空気感を漂わせた叙情的なジャズでした。

 今回ご紹介するのは、そんなヨーロピアン・カルテットの傑作、「マイ・ソング」です。

 尤もこの作品、実は発表当初は万人が認める名盤というわけではありませんでした。むしろ僕のまわりでは、その美しすぎる音楽に対して、「ケッ、こんな軟弱な音楽はジャズじゃねえ」「アメリカン・カルテットのほうが100倍いいじゃねえか」という非難のほうが多かったように記憶しています(なにを隠そう僕はその非難派の急先鋒でした)。

 しかしながら、真に優れた音楽の持つ力というのは、やはりすごいものです。時が流れ、今となってはこの作品に対してそんなことをいう人は誰もいません。もちろん僕も、CDをきくたびに「なんて清澄な音楽だろう」と感心すると同時に、「なぜあの時、この素晴らしさが理解できなかったのか」と、自分の駄耳が恥ずかしくなります。

 少し具体的にきいてみましょうか。たとえば1曲目の≪クウェスター≫。ジャズにあるまじき情緒を湛えたピアノのコードに導かれてあらわれるテーマの、けっして単純ではないのにすぐに口ずさめる旋律の美しさ、完成度といったら! しかもそれに続く即興は、テーマの美しさをただ引き継ぐだけではなく、青白い炎とでも呼びたいような静謐な過激さを兼ね備えているのです。

 あるいは2曲目の≪マイ・ソング≫。これはCMや映画でもたびたび使われ、もはや“隠れスタンダード”といっても過言ではないキースの代表作ですが、その親しみ易さの裏には、この音楽家の真髄ともいうべき繊細なハーモニーがたゆまなく流れています。途中、無伴奏のピアノ・ソロにサックスが入ってくる瞬間の高揚感とその後の一体感は、ジャズをきいて得られる快楽の、最上のものの1つではないでしょうか。

 また、ゴスペル調のテーマがノスタルジックな感傷を呼び起こす≪カントリー≫も人気の高いナンバーです。特に僕がいつも心揺さぶられるのはキースのソロ。ジャズの語法にとらわれない自由でメロディックなその演奏には、この人の天才的な歌の感度が凝集しているといっても過言ではないはずです。

 そんな中、ただ1曲だけキースの内包する凶(狂)的な部分が露出したのが≪マンダラ≫。テーマ以外は全編フリーという過激な演奏ですが、これが挿入されたことによって、本作の名盤度がアップしたことはまちがいありません。

 さまざまなスタイルや方法論が乱立し、混沌をきわめていた70年代のジャズ・シーン。「マイ・ソング」はその中を吹き抜けた一陣の涼風だったのかもしれません。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
>>ページトップに戻る