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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.17 より

「サークル・ワルツ」
ドン・フリードマン

ドン・フリードマン(p)
チャック・イスラエル(b)
ピート・ラロカ(ds)

1962年5月14日 ニューヨークで録音

 ジャズ・ピアノの世界に、「エバンス派」というものがあります。これはその名のとおり、かのビル・エバンスから影響を受けたであろうピアニストた ちの総称で、そのスタイルの特徴をひとことであらわすなら「ハーモニーとソノリティを重視した叙情的な演奏」ということになるでしょうか。これに対して、エバンスより一世代前の巨匠、バド・パウエルを祖とする「パウエル派」(こちらは黒人感覚を土台においたビバップ・テイストが特徴的です)というのもあるのですが、近年のピアノ勢力地図ではエバンス派のほうが圧倒的に優勢のようです。

 今回ご紹介するのは、そのエバンス派ピアニストの第一世代であるドン・フリードマンの「サークル・ワルツ」。さっそく本題に入りたいところですが、しかしその前に、エバンスとフリードマンのあいだにある浅からぬ因縁話から。

 ジャズ・シーンにおけるエバンスの名声を不動のものとしたのが「インタープレイ」という技法であり、その実現に欠かせなかったのがベーシスト、スコット・ラファロだったことは、この連載の1回目で書きました。で、なにを隠そうそのラファロが、エバンスのトリオに加入する前からずっと共演していたのがフリードマンだったのです。NYに出てきて住むところに困っていたラファロを自分の家に居候させてやるほど、フリードマンは この若いベーシストを気に入っていました。ところが! シーンでメキメキ頭角をあらわしていたエバンスに誘われるや、ラファロはいともあっさりとフリードマンの許を去ってしまったのです。

 ま、こういうことは音楽の世界では日常茶飯事なのですが、しかしこの「引き抜き」が、フ リードマンの心にある種の屈折感をもたらしたことは想像に難くありません。そしてその屈折感が、のちに彼に「エバンス的な音楽」をさせ、それでもなお「自分はエバンスからはまったく影響を受けていない」といわしめた遠因ではなかったかと僕には思えるのです。

 さらに話は続きます。ラファロに去られた後フリードマンは、それまでのビバップ・スタイ ルからエバンス派への転身を図り、その方向性にふさわしいベーシスト、チャック・イスラエルを見出すのですが、今度はそのイスラエルを、自動車事故でラファロを失ったエバンスに引き抜かれてしまうのです。当初はフリードマンとエバンスのトリオを掛け持ちしていたイスラエルですが、しかしエバンスとの仕事が忙しくなるにつれ、フリードマンとの関係は自然消滅してしまいます。

 たしかに、知名度・実力・功績の点でフリードマンがエバンスに及ばなかったのは事実であり、弱肉強食の法則に照らせば上記の出来事は「必然」であったといえるでしょう。にしても、その必然が2度も――それもおなじ相手によって!――引き起こ されたことに、僕はジャズの神様の悪戯を感じずにはいられないのです。

 さて、「サークル・ワルツ」の話です。ジャズ・ピアノ史に残る傑作であるこのアルバム、収録されているトラックはすべて名演といっても過言ではないのですが、中でも突出した光を放っているのが、フリードマンのペンになるアルバム表題曲です。ジャズにあるまじき(笑)儚い美しさに満ちたテーマ。それに続くイマジネーティブかつ叙情的なアドリブ……。とりわけ素晴らしいのがフリードマンとイスラエルのインタープレイで、一聴するとどちらがソロを受けもっているのかわからない、というか、そういうことがまったく気にならないほど、ここでの両者のプレイは一心同体となっていま す。

 また、もう一つ注目したいのがピアノの響き。フリードマンという人は、本来一つ一つの音にメリハリをつけ、その音でもって躍動的なラインを紡ぐタイプのピアニストなのですが、そんな彼がここでは、ピアノが打弦楽器であることを忘れさせるような玄妙なタッチを駆使して、まるで蜃気楼のようなサウンドを生み出しているのです。

 エバンス本人よりもエバンスらしい演奏……この1曲を聴くためだけでも、このアルバムは 購入する価値があると、僕は思います。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「スイング・ジャーナル」誌ディスク・レビュアー。共著に『200DISCS ブルーノートの名盤』(立風書房)、『楽器でジャズを楽しもう』(河出書房新社)がある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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