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王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.15 梅岡俊彦

ピアノという仕事王子ホールマガジン Vol.43 より

フォルテピアノにチェンバロ、そしてオルガン。王子ホールでは以前から古楽器を用いた演奏会が数多く行われてきたが、そうした演奏会に欠かせないプロフェッショナルがこの人だ。王子ホールで夜の演奏会を終えたアーティストが翌日兵庫のホールに入るころには、すでに先回りして同じ楽器をスタンバイしている、なんていうことも珍しくない。楽器を積んで東へ西へと走りまわり、一人で楽器の搬出入までこなす。まさに「性に合っている」からこその仕事ぶりだ――

梅岡俊彦(鍵盤楽器技術者)

梅岡楽器サービス代表。兵庫県生まれ。10代よりロックや演劇など幅広いジャンルの舞台製作に関わる。1980年より神戸の(有)ピアノ技研でピアノ・オルガンなどの調律・修理の技術を習得後85年に独立。自ら梅岡楽器サービス設立後はチェンバロ等の古楽器の技術を国内外で独自に習得。神戸事務所が95年の阪神大震災で被害を受けたのを機会に東京事務所を多摩市に開設。98年に移転し目白スタジオをスタート。古楽器から現代まで幅広くこなせる鍵盤楽器の技術者として国内外の著名な演奏家のコンサートやCDの録音等に数多く参加。またバッハ・コレギウム・ジャパンに帯同して海外の数十箇所でのコンサートで調律を担当。現在神戸と東京の2ヶ所を拠点に全国で活動中。

ブログ:「チェンバロ漫遊日記」
http://umeokagakki.cocolog-nifty.com/blog

Q 梅岡さんはピアノというより鍵盤楽器全般に携わってらっしゃいますが、音楽との出会いはいつだったのですか。

梅岡俊彦(以下「梅岡」) 親は特別に音楽好きではなかったんですが、自分は何よりも音楽が好きでした。クラシックにかぎらず何でも聴いていましたね。私は60~70年代のロック・カルチャーど真ん中の世代で、早くからロックやアングラ芝居の裏方をやっていました。テレビドラマの大道具のアルバイトもやっていたんですよ。

Q では昔からモノ作り、舞台作りの現場にいることが好きだったんですね。そこからなぜピアノの技術者になろうと思ったのですか?

梅岡 ピアノの技術者になろうと志したのは20歳すぎです。ちょうど知り合いに調律師さんがいまして、もともと機械いじりと音楽が好きだったものですから、そこで修行させてほしいとお願いしました。調律の専門学校に行くよりも工房に潜り込む方が性に合っていたので(笑)。現場で作業を見たり、本を読んだりして勉強しました。

Q 古楽器との接点はあったのですか?

梅岡 当時、周辺でチェンバロを扱っている方がいて、早いうちから古楽器の存在は知っていました。もちろん古楽器そのものに魅力を感じていましたけれど、ピアノ技術者の世界というのは非常に確立されたところで、新人が入っていくのが難しかったんですね。一方チェンバロは、私が始めた30年前には日本でもほとんどやっていない世界だったので、自由でした。なのでだんだん古楽器のほうに関心が移っていきました。

Q 独立しようと決心したのはいつですか?

梅岡 20代の半ばに、「ピアノ技術者として独立します」と言って神戸で古楽器のお店を開きました。ただ最初のころはチェンバロの仕事なんてありませんから、ピアノの調律を一生懸命やって、そこで稼いだお金でしのぎつつチェンバロの出番を待つという日々でした。

Q チェンバロを購入してから独立されたのですか?

梅岡 いえ、独立して数年後にようやく小さなチェンバロを1台購入しました。一番最初は装飾もなんにもない木目の小さなチェンバロで、何人ものオーナーのところを転々としてからうちに来たものでした。関西ではまだ貸出し用のチェンバロなんてなかったので、このチェンバロは関西の多くの演奏家の方が弾きましたね。今でも大切に使っています。その次にパリで製作された、装飾なども豪華な楽器を買いました。この楽器を手に入れたことで東京からも声がかかるようになりまして、活動の場が広がりました。いい楽器を持つというのは大きいですね。とにかく最初はピアノ調律で稼いで、その稼ぎをチェンバロにつぎこんでいました。楽器がすこしずつ増えていったのは90年代の前半です。

Q では事業がようやく回りはじめたぐらいのときに95年の阪神大震災があったわけですね。

梅岡 当時工房として借りていた家が全壊しまして、チェンバロも瓦礫のなかに埋もれてしまいました。たまたま何台か持ち出していたので、埋まったのは1台だけ。それは掘り出して今でも使っています。でもこの震災がきっかけとなって東京に事務所を出そうという決断をしたんです。地震の数ヶ月後には東京に事務所を借りました。最初は多摩センターに小さな場所を借りてやっていましたが、来日アーティストの練習の都合も考えるとやはり都心にないと不便だということになり、今の目白スタジオに移りました。ここではもう15年ほどやっています。

Q 多くのアーティストがこの目白のスタジオで練習していますよね。

梅岡 特殊な楽器ですから、本番の前に触っておきたいという方が多いんです。なので驚くような方がここで練習されていますよ(笑)。こちらとしても世界のトップ奏者に提供できるような楽器を目指して、種類もいろいろと揃えています。チェンバロが10台、フォルテピアノが3台、オルガンが1台。東京のスタジオだけではおさまらないので、神戸にもオフィスを構えて分散して置いています。このあいだ数えてみたら、王子ホールさんにはこれまでに計10種類の楽器を持ち込んでいます。日本のホールの中で一番多いですよ(笑)。

Q 持ち込む楽器はどのように決まるのですか?

梅岡 音楽事務所からリクエストがあって、そのプログラムに応じてこちらの楽器を提案するというかたちですね。昔はチェンバロと名がつけば何でも弾いていたりしましたけれど、ヨーロッパなどではしばらく前から曲に合わせて楽器を変えるという時代になっています。なので私も楽器を揃えて、曲に合わせて提供できるように努めています。

Q どうやって楽器を探すのですか?

梅岡 新品を注文することはほとんどなくて、演奏家から譲っていただいたり、ヨーロッパやアメリカで使われていた楽器が、オーナーの楽器買い替えにともなって日本に渡ってきたりですね。日本に私のような人間がいることは海外の方もご存じなので、向こうから声をかけていただくケースも多くなってきました。「日本人はいい楽器をきちんと評価して買ってくれる」という認識がヨーロッパでも広まっていますので、楽器を売りに出すときもまず日本に持ちかけてくれます。いま10台あるチェンバロのうち8台はヨーロッパ製、フォルテピアノもすべて海外で製作されたものです。海外の演奏家が自国にあるベストの状態の楽器と同じ感覚で弾けるように、ということを心がけています。

Q 梅岡さんは演奏会があるときは全国津々浦々に楽器を運んでいますし、「東京=大阪間は目をつぶっても運転できる」という名言があるほど大変な移動距離を運転されています。年間でどのぐらいの距離を移動されるんですか?

梅岡 一番多かったときは年間で8万㎞走りましたね。運転が大好きで旅が大好きで、行った先々でおいしいものを食べるのが楽しみなので、喜んでどこへでも行きます。いい演奏家といい演奏に出会えるのだし、疲れよりも歓びの方が大きいですね。でもなぜか青森県だけは仕事で行ったことがないので、青森県で仕事をすることが今の目標です(笑)。それからバッハ・コレギウム・ジャパンとヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、イスラエルと世界中をまわらせていただいた時期があって、これも貴重な体験でしたね。海外で日本との違いを感じると、彼らが何に驚き、何を喜ぶのかが分かるようになりましたし、今の仕事には大いに役に立っています。

Q 梅岡さんは楽器の搬入・搬出をほとんど一人でなさいますよね。

梅岡 ヨーロッパである女性の演奏家が重いフォルテピアノを一人で運んで一人で調律して、リサイタルをする、というのを目撃したのがきっかけです。道具を揃えたり、徹底して工夫をしているんですよね。私も道具はいっぱい作りましたし、いまではほとんど力を使わなくても動かせるようになりました。力を使って強引に動かしているといずれ無理がきてしまいますから。あとは現場に行って誰かしらつかまえる、というのもひとつの手です。向こうの方は、チケットもぎりのおじいちゃんに重い楽器の階段上げを手伝わせてたりしますよ(笑)。

Q 王子ホールではこれまでに2度ほど、公演終了後にお客様をステージに上げて楽器の解説をなさってくださいました。

梅岡 コンサートが終わった後に舞台の前までお客様がきて、下から楽器を覗いていることが多かったんです。いい音楽を聴いたあとは、その音楽がどんな楽器から奏でられたのかと興味が湧くでしょうし、その興味をフォローしてあげるともっと喜んでもらえるのではと思いまして、主催者さんのご要望があればやるようにしています。わざわざ古い楽器を使っているわけですから、その背景ですとか、なぜこういう楽器を今の時代に演奏するのかというところを伝えたいですね。

Q 今後のお話になりますが、まだまだ楽器は増やしていきたいですか?

梅岡 スペースもいっぱいになってきているし、もう増やさないようにしようと思っています。思っていますけれども、僕が持っておけば演奏家の方も喜ぶだろうなという楽器に巡り合ってしまうと、「仕方ないな」と思いつつも手に入れてしまいますね(笑)。

Q 後継者についてはどうお考えですか?

梅岡 これはとにかく自分が好きでないと続かない仕事ですから、やっている音楽が好きで、裏方が好きで、楽器というか、メカニックなことが好きで――と、いろんな要素が合致していないとできない仕事だと思います。私の息子も裏方の仕事には興味を持っているようですけれども、こういう楽器が好きにならない限りは無理強いはしません。ホールの仕事に連れて行ったりとか、現場に接する機会はつくりますが。結局は体質的に合うかどうかですよね。裏方が性に合うというのもひとつの才能ですから。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:梅岡楽器サービス)

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