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インタビュー エマニュエル・パユ

王子ホールマガジン Vol.30 より

古典と現代を結ぶ無伴奏プログラム、盟友エリック・ル・サージュとのデュオ、レ・ヴァン・フランセをはじめとする旧知のプレイヤーとの室内楽、新作を含む数多くのコンチェルトでの独奏、音楽祭の主宰、マスタークラス、そしてベルリン・フィルでの活動。フルートの貴公子と呼ばれて久しいエマニュエル・パユだが、この楽器の持つポテンシャルを存分に知らしめてきたこれまでの活躍ぶりからすれば、『フルートの帝王』の称号を贈っても差し支えないだろう。
 とはいえ舞台袖に設置してある避難誘導用の拡声器で「クリスティアン・リヴェさん、ステージに移動してください」と呼びかけてヘルメットをかぶせようとするなど、演奏をしていないときは決まって周囲を巻き込んでおふざけを楽んでいる。サービス精神に溢れているのか根っからのお調子者なのか判然としないが、ともかく人懐こい一面も持ち合わせているのがこの帝王の魅力だ。2002年の初登場以来10回目となるコンサートを前に話を訊いた――

エマニュエル・パユ(フルート)

1970年1月、フランス人とスイス人の両親のもと、ジュネーヴに生まれる。6歳でフルートを始め、パリ国立高等音楽院でミシェル・デボスト、アラン・マリオン、クリスチャン・ラルデ、ピエール=イヴ・アルトーに師事、同音楽院卒 業後はバーゼルのオーレル・ニコレの下で研鑽を積んだ。89年の神戸国際コンクール第1位で日本のフルート・ファンの注目を一気に集め、92年には最難関のジュネーヴ国際コンクール第1位を獲得。92年ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(音楽監督:セルジュ・チェリビダッケ)より首席奏者として招かれるが、93年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(音楽監督: クラウディオ・アバド)のオーディションに合格し、同年ベルリン・フィル首席ソロ奏者就任。2000年6月ベルリン・フィルを退団、同年9月から01年6月までジュネーヴ音楽院フルート科の教授として後進の指導にあたる。02年4月ベルリン・フィルに復帰、同オーケストラ首席奏者およびソロ・フルーティストとしての演奏活動を再開。来日も多く、エリック・ル・サージュ(ピアノ)とのコンビによるリサイタルの他、NHK交響楽団、東京交響楽団、紀尾井シンフォニエッタ等のオーケストラとの共演、マスタークラスも行っている。06年放送の大河ドラマの紀行音楽にも参加した。現在EMIと専属契約を結んでおり、緻密なプランニングによってリリースされるアルバムは常に楽界の話題を独占している。CDは15作を超え、06年 にはヴィヴァルディのフルート協奏曲集(R.トネッティ指揮オーストラリア室内管弦楽団)、イェフィム・ブロンフマンとのデュオによるブラームス&ライネッケ・ソナタ集を、07年にはラトル指揮ベルリン・フィルとの共演によるニールセンの協奏曲をリリースした。08年、現代作曲家ダルバヴィ、ジャレル、 ピンチャーがパユのためにそれぞれ書き下ろしたフルート協奏曲集およびトレヴァー・ピノック(チェンバロ)との共演によるバッハのソナタ集をリリース。最新作は10年4月に発売となったオペラの編曲集。

 

ネットワーキング

これまでに実に多彩な顔ぶれと共演してきたパユ。今回はパリ国立高等音楽院時代からの友人というギターのクリスティアン・リヴェとの来日だったが、各地のコンサートや音楽祭での出会いも彼の音楽活動に大きな影響を与えている。年齢的には中堅どころとなり、成長が楽しみな後輩も増えてきたようだ。たとえばポール・メイエ、エリック・ル・サージュと毎年夏に開催しているサロン・ド・プロヴァンス国際音楽祭では、若手の音楽家を呼んで一緒に演奏を楽しんでいる。
 「樫本大進(ヴァイオリン)や趙 静(チェロ)、アントワンヌ・タメスティ(ヴィオラ)といった演奏家と共演して、その演奏家がミュンヘンやジュネーブのコンクールで賞を獲ったり、あるいはベルリン・フィルのコンサートマスターに就任するといったニュースを聞くと、非常に嬉しい気持ちになります」とパユは語る。「ダイシンちゃんなんて、最初に共演したときは室内楽の経験がほとんどなくて四苦八苦していたのに、今では周りのプレイヤーの音をしっかり聴いて、コンタクトをとりつつ音楽作りをしている。この間も初めて一緒に演奏する曲がありましたが、曲に対する解釈やアプローチが完全に一致していました。それというのも、一緒に音楽的経験をつんできたからでしょう」。
 20~40代半ばのアーティストはこのところ積極的に交流を図り、さまざまな音楽活動の可能性を探っているという。だが世界中を飛び回る多忙なアーティスト同士、どういったタイミングで交流を図っているのだろうか。
 「サロン・ド・プロヴァンスのような音楽祭だったり、フルート関連のイベントだったり、音楽学校だったり、いろいろですよ。とくに東京のような場所だと、同時期にたくさんの音楽家が集まっていますから、時間の空いたときほかの人のコンサートに行って、情報交換をしたり、音楽的な刺激を受けたり、コラボレーションの可能性を探ったりできます。ルノー・カプソン(ヴァイオリン)などは音楽仲間のネットワークづくりにとても積極的で、こうしたネットワークの存在によって多くのアーティストが恩恵を受けています」。

オペラ・ファンタジー

2011年のパユはEMIからアルバムも出ている『オペラ・ファンタジー』という、名作オペラの編曲作品を集めたプログラムを披露してくれる。オペラ演奏の機会が少ないベルリン・フィルに所属するパユだが、幼少期からオペラに夢中だったという。
 「両親はレコードを何枚か持っているぐらいでしたが、引っ越した先の近所に交響曲からピアノ作品までいろいろと知っている方がいて、その影響から両親もコンサートによく行くようになりました。私も6歳か7歳になるころには、決まってオペラに連れて行ってもらえるようになったんです。そのときに観た『魔笛』や『椿姫』や『カルメン』など、今でも忘れられませんよ。オーケストラだけを考えても弦と管と打楽器が混ざり合った複雑な存在ですけれど、オペラにはそれに声と芝居が加わってきますから、本当に奇跡的なことだと思います」。
 フルートを手に取るようになったのも、先の『ご近所さん』の影響だったと語るパユ。以前から子供たちに生の音楽体験をさせることの重要性を説いていたのも、こうした自身の経験があるからなのだ。
 「フルートを吹けるようになるためには、まずそれを手にとって練習する動機が必要です。『ライブ』体験はその動機を与えてくれる――もちろんテレビやコンピューターに興味を示す子供たちは多い。でも実際に目の前で何かが起きているのを体験すると、子供というのは大きな衝撃を受けるものです。それがサーカスだろうとオペラだろうとスポーツだろうと同じことで、深い印象を与え、生涯にわたって残る体験となる。強烈な記憶が残ると、やがてそれが自分で行動を起こすきっかけにもなるはずです」。

デジタル・コンサートホール

さて持ち前の驚異的なスタミナで旺盛な演奏活動を展開しているパユだが、その内容はオフステージにまで及んでいる。ベルリン・フィルのメディア担当役員として立ち上げに関わった、映像配信ポータル『デジタル・コンサートホール(www.digitalconcerthall.com)』もその一例である。このサイトでは有料でベルリン・フィルのライブ映像や過去の演奏を視聴できるほか、プログラムをめぐる団員とゲスト・アーティストとの対話や指揮者のコメントなどが無料で視聴できるようになっている。世界中のオーケストラやホールを見ても、インターネットを利用したコンテンツ配信をこれほどのレベルで実現している組織は見当たらない。
 「ネット中継そのものは10年前から検討していました」とパユは語る。「でも当時はまだ高品質の撮影や録音ができる機材が存在していなかったし、ネット配信のインフラも十分ではなかった。だからテクノロジーが追いついてくるまで待たなければなりませんでした。私たちが望むクオリティの配信をするためには、消費者市場の4、5年先を行く、最先端のテクノロジーを実装する必要があったんです。私は2007年夏から2010年夏まで、3年にわたってベルリン・フィルのメディア担当役員を務めたのですが、インターネット中継は在任期間中の大きな目標のひとつでした。これには著作権などの法的側面、照明やカメラや音声といった技術面、そしてコンテンツの検討などプランニング面も関わってきます。すべてを高い次元で実現するために、専門家を集める必要がありました」。
 そうしてデジタル・コンサートホールがスタートしてから1年半以上が経過した現在、アーカイブには多数のコンサートが収められ、オンデマンド視聴が可能となっている。登録ユーザーも2シーズン目には倍になったとのことで、滑り出しは順調だ。
 「デジタル・コンサートホールを利用しているアーティストも多いんですよ。場所を問わず、都合のいいときにベルリン・フィルのコンサートを視聴できますからね。どの指揮者がどういった解釈をしているか、そしてベルリン・フィルが指揮者によってどれだけ異なる響きを出せるのか、興味深く思っている人はとても多い」。
 もうひとつ興味深いのは、団員が主体となって運営している点だ。無料コンテンツにはパユもホスト役となって登場し、ピエール=ロラン・エマール(ピアノ)やピエール・ブーレーズ(指揮)などを迎えてプログラムをめぐる対話を交わしている。
 「基本的にはベルリン・フィルの団員がゲスト・アーティストを迎えて、15~20分程度、プログラムについて話し合うかたちになっています。収録に先立ってゲスト・アーティストの経歴を見直したり、一緒に演奏するレパートリーについて調べたりして、視聴者に興味深いと思ってもらえるようなポイントを探すことになりますので、自分でも楽しんでやっていますよ」。

モザイク・メイキング

デジタル・コンサートホールも無事船出をし、パユ自身も3年に及んだベルリン・フィルのメディア担当役員の重責から解放された。かつて王子ホールのインタビューで、「私にとっての『息抜き』とは、活動の内容を変えること」と語っていたパユだけに、すでにこの先を見つめているに違いない。
 「会議をしたりパソコンに向かう時間が減り、外の新鮮な空気を吸ったり、譜読みや練習に時間をかけられるようになったので、ありがたいことだと思っています。ソロ活動や室内楽、新作委嘱、未知の音楽の探求など、この3年間控えめにしてきた活動にもっと時間を割けるようになりました。これまで20年以上も演奏活動を続けてきたわけですけど、このところとても新鮮な気持ちで音楽と向き合えています。ですからこの先の10年は非常に生産的なものになると思いますよ」。
 新作の委嘱や新たなレコーディングの計画もそうした活動の重要な一部となっている。さまざまな時代、地域、思想を縦横に結ぶ彼のプログラミングは多くのファンが楽しみにしているところだが、アイディアはどこから生まれてくるのだろうか。
 「たとえば無伴奏なら無伴奏で、J.S.バッハとブーレーズとドビュッシーを並べて、それぞれにどういった共通点があるのかを考えるのも面白い。C.P.E.バッハとベリオの《セクエンツァ》にどういう公約数が見つけられるのかを考えるのもいいでしょう。ひとつのアイディアであったり、文化的な背景、リズムなど、共通する要素を探して頭の中で整理する。そのうえである種の物語性というか、ストーリーをはらんだコンサート・プログラムやリリース素材を構成していくと、面白いものができると思います」。
 レコーディングに関しては、徐々にCDというかたちは失われ、ダウンロード販売をはじめとする新しいリリース形態が普及していくだろうと彼は言う。確かに1曲といわず100曲といわず、自在な情報発信が可能な時代となった。
 「これまでにリリースしてきた多くのレパートリーを整理して、この先どういった作品をレコーディングし、ステージでどういったプログラミングをすべきかを考える時期にきています。私のフルートの世界を壁一面のモザイク画と考えれば分かりやすいかもしれません。ひとつひとつのレパートリーをモザイクに使われるタイルに見立てて考える――私はモザイク画を大きくするよりも、緻密さを追求したいんです。自分というミュージシャンの枠の中にはいるコンテンツの密度を高めていきたい。そのために、隙間を埋める新しいタイルをまだまだ増やしていきたいと考えています」。

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:アスペン)

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