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王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.26 松尾治樹

Vol.26 松尾治樹

王子ホールマガジン Vol.57 より

王子ホールにゆかりのある『ピアノのプロフェッショナル』を紹介してきたこのインタビュー・シリーズ、今回は演奏家ではなく、関東圏のコンサートホールに多くのスタインウェイピアノを納入し、コンサート調律やメンテナンスを担当する技術者を派遣する松尾楽器商会の代表取締役、松尾治樹氏に話を訊いた。ピアニストとピアノのメーカー、そしてコンサートホールの間に立つ人物である――

松尾治樹(松尾楽器商会 代表取締役)

1948年東京生まれ。小学校でギターを、中学校でハープを始める。東京藝術大学附属高校を経て同大学を卒業。父・松尾 博が創業した松尾楽器商会に入社。83年、急逝した父・博の後を継いで同社代表取締役に就任。2002年10月には日比谷にスタジオを併設したショールームをオープンする。松尾楽器商会は現在スタインウェイピアノ関東地区正規ディーラーとして活動しており、王子ホールをはじめ多くのコンサートホールのピアノは同社の技術者が調律を担当している。 
松尾楽器商会ホームページ http://www.h-matsuo.co.jp/ 

――まずは幼少期について伺います。松尾楽器商会の二代目ということで、小さいころからピアノは身近な存在だったのでしょうか。

松尾治樹(以下「松尾」) 父はNHK交響楽団のコンサートマネージャーをしていたのですが、NHKの会長から、N響とNHKで使用する楽譜や楽器を整備するように指示され、1953年になって松尾楽器商会の前身となる会社を創業しました。NHKが手本にしていた英国国営放送BBCが使用していた楽器は、ピアノはすべてスタインウェイ、ハープはライオン&ヒーリーのものでした。そこで音楽好きの通産省の役人とか、そういった人たちの知恵を借りて楽器の輸入を細々と始めたのです。そのうちに他の民放からも楽器の輸入を頼まれるようになり、N響の仕事と楽器輸入の仕事という二足の草畦を履いてやるのは無理となって、楽器輸入に専念することになったのです。もともと母の実家は新宿の「コタニ楽器」という大きな楽器店で、最初のうちはピアノを陳列するショールームなどもなかったので、そこに間借りしていたようです。

――ご自身はピアノを習っていたのですか?

松尾 私には姉と妹が居て、どちらもピアノを習っていました。私も最初はやらされたのですが、当時の子供らしくわんぱくで、「ピアノなんて女の子がやるものだ!」などと言ってそっぽを向いていました。

――『家業』を意識することはあったのかもしれませんが、それ以外に音楽に触れるきっかけとなる出来事はありましたか?

松尾 小学6年の時に、同級生の親友と二人でクラシック・ギターを習うことになったのですが、その先生が実に素晴らしい人で、その先生を通して音楽の世界に憧れるようになりました。中学時代は勉強そっちのけでギターばかり弾いていました。私のそんな姿を見て父は心配になり、懇意にしていた藝大の学長のところに相談に行ったのです。すると学長からは 「君のところではどうせハープも商品として扱っているのだから、ハープをやらせてみたらどうだ?」 と提案がありました。ハープだったらやっている人も少ないから、ちょっと頑張れば藝大の附属高校に入れるぞ、ということですね(笑)。それで中学2年の時からハープを始め、受験に備えてピアノやソルフェージュなども猛勉強して、なんとか合格できました。

――藝大では器楽科のハープ専攻だったわけですよね?

松尾 ハープ専攻で入ったのですが、ピアノの方が面白くなってしまって、一時はピアノばかり弾いていましたね。それと、その頃、藝大には小泉文夫先生という民族音楽の素晴らしい先生がいて、授業が面白くとても人気がありました。私もその先生の授業に惚れ込んでしまって、週のうち5日間ぐらいは先生にべったりでした。その一方で、指揮にも興味を持つようになり、副科で指揮法の勉強もしていました。そんなわけでハープの方は忙しくて練習する暇など殆どなかった(笑)。試験の直前になって慌てて先生の所に駆け込んで、曲を貰って、なんとかギリギリで間に合わせていました。

――卒業後はどうなさったのですか。

松尾 卒業する直前にNHKホールが新しく代々木にできまして、そこに備えつけるパイプオルガンの輸入・設置の業務を父の会社が請け負っていました。ドイツから職人が何人も来るので、ドイツ語が少しは判るだろうというので、私もその現場を手伝うことになりました。やっているうちに「これは面白そうだな!」と興味を持つようになって、オルガンが完成した後、そのオルガンを製作した西ベルリンのオルガン工場に研修にいくことになりました。ドイツの工房ではカンナ掛けから、オルガンの設計まで基本的なことを学びました。別にオルガンの技術者になるつもりはなく、「オルガンという楽器についてひと通りの知識を身につけられれば良い」というのが父の考えでした。デザインのことを主に勉強していました。

――将来いろいろなホールにオルガンを納入することを見越してのことでしょうか?

松尾 そういうときに役に立つように、ですね。そして1年ほど研修して帰国し、父の会社に入社したわけです。当時は、父が熱心にオルガンを各地のホールに売り込んでいたこともあり、オルガンの仕事は沢山ありました。しかし、 1983年、私が35歳の時に、父は心筋梗塞を起こして急逝してしまいました。それまでの10年ぐらいはオルガンの仕事ばかりやっていたのですが、その後はピアノやハープの事もやるようになりました。ピアノはオルガンみたいに一台ごとに異なるということもありませんし、ハープは自分の専門の楽器でもあったので、楽器について必要な知識は十分にありました。
幸いにしてこの時代は順調でした。 ちょうど日本の経済がどんどん強くなってバブルに突入していく時期だったので、時代の流れにのっていたという感じですね。大変だったのはバブルがはじけてからです。販売台数も減ってしまって。好調な時期と厳しい時期の両方を体験できたのは自分にとっては良かったと思っています。

――バブル崩壊後は円高傾向が続きましたが、その影響はいかがでしたか?

松尾 円高はかなり続きましたが、輸入業は輸出とは違って幸いでした。私どもは、1997年にスタインウェイ・ジャパンが設立されるまで日本の総代理店だったので、価格などは国内の状況だけで自由につけられました。当時はまだドイツ・マルクと円は同じように並行して動いていたので、為替レートも比較的堅調でした。現地価格にある程度を上乗せして国内の販売価格を設定していましたが、音楽の世界は狭い世界ですし、皆さん仲間内ですからなかなか儲けさせては貰えませんね(笑)。

――90年代の半ばには国内の並行輸入業者から松尾楽器商会に商品供給を阻害されているという申し立てがあり、公正取引委員会の調査が入ったそうですが、 この件についてはどのように受け止めていらっしゃいますか?

松尾 この時は他の業種の「日本総代理店」も軒並み調査の対象になったのですが、実は公正取引委員会の調査が入ったとき、担当の責任者から「私はこれまでに300件ほどの調査を担当してきましたが、 貴社のような真っ正直な会社は見たことがありません」とたいへん褒めていただきました。「確かに(不当な妨害を受けているという)訴えがあったから調べたけれども、総代理店という独占的立場にありながら公正に事業をなさっている」と。自分はこの件で逆に自信を持ったのです。単にビジネスのやり方というだけでなく、生き方として間違っていないのだなと思いました。

――2000年代に入ってからのお話を伺います。この日比谷のショールームはいつオープンされたのですか?

松尾 15年ほど前です。それ以前は御茶ノ水のカザルスホールの入口のところにショールームがあったのですが、カザルスホールが閉館することになって、我々も撤退を余儀なくされてしまいました。移転先を探していたところ、ちょうどうまい具合に現在ある日比谷交差点の角のビルが見つかりました。立地も最高ですし、地下というのがなによりも楽器にとって好都合です。直射日光が当たらないし温度や湿度の管理がやりやすいので。
ショールームにお越しになるお客様は、ピアノを専門にやっていらっしゃる方が多いのですが、皆様たいへんな努力をされて、この「一生の買い物」をなさるわけです。そういうお客様は大事にしたいと思いますね。スタインウェイのピアノは手を掛ければ掛けただけ良くなりますし、逆に手を抜けば途端に調子が悪くなる。そういったところが如実に音に顕れます。ですから調律などの技術管理がとても重要なのです。ピアニストはタッチの微妙なことをスタインウェイ自身からたくさん教われますし、付き合いが永くなればなる程、初めに気づかなかったことを楽器が教えてくれるようになります。良い楽器というのはそういうものだと思います。

――そのほか現在考えていらっしゃること、今後の展望などは?

松尾 今の店の形態は理想的だと思いますので、特にこれを変える必要はないと思っています。仕事をしていて何より楽しいです。スタインウェイというのは素晴らしい楽器ですし、この楽器を最初に創ったスタインウェイのファミリーの努力を無にしたくない。それを本当に良い形で次の世代に受け渡していくのが使命かなと思っています。

――日比谷に来たらショールームに寄るべし、ですね。

松尾 ショールームには自由にお入りいただけます。値段の高いものなので遠慮される方が多いですが、 どんどん試奏していただて大丈夫です。高価な楽器だからと最初はおそるおそる鍵盤に触れる方が多いのですが、暫くすると皆様のびのびと気持ちよく弾いていらっしゃいます。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:松尾楽器商会)

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