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王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.18 

エリック・ル・サージュ

ピアノという仕事王子ホールマガジン Vol.46 より

エリック・ル・サージュ。言わずと知れた室内楽の名手であり、王子ホールではフルートのエマニュエル・パユやチェロのジャン=ギアン・ケラスと共演し、2013年にはかつて室内楽を指導したチェロの中木健二と得意のシューマンに加え、プーランク、ドビュッシーといった充実のフランス作品を聴かせてくれた。レ・ヴァン・フランセの一員として20年来、30年来の仲間と来館した彼に、ピアニストとしての来し方を語ってもらった――

エリック・ル・サージュ(ピアノ)

1964年南仏エクサン・プロヴァンス生まれ。パリ高等音楽院に学び、ピアノと室内楽でプルミエ・プリ(一等賞)を受賞し17歳で卒業。また、この時期ロンドンでマリア・クーシオに師事。85年ポルト国際コンクール第1位、89年ロベルト・シューマン国際コンクール第1位及びリーズ国際コンクール第3位。ソリスト、室内楽奏者として活躍。BMGファンハウス他よりCDが発売されている。国際的な主要音楽祭への出演に加え、毎年夏に行われるサロン・ド・プロヴァンス音楽祭をメイエ、パユらとともに主宰。古典から現代まで作品の核心に触れる深い解釈とフレンチ・ピアニズムを継承する演奏で高い評価を受けている。

Q 音楽、そしてピアノとの出会いはいつごろでしたか?

エリック・ル・サージュ(以下「ル・サージュ」) 家にはレコードがたくさんありました。小さいころよく聴いていたのはガーシュウィンのピアノ・コンチェルトとイ・ムジチの「ヴィヴァルディ:四季」、あとはベートーヴェンの交響曲第7番。この3つを何度も何度もかけていましたね。もちろん当時はまだ小さかったので、自分がミュージシャンになるということは全然考えていませんでした。でもたまたま家に古いアップライトのピアノがあったので、5歳ぐらいからピアノを弾き始めました。

Q 正式にピアノのレッスンを受け始めたのはいつごろですか?

ル・サージュ 先生につくようになったのは7、8歳ですね。母に言われて習うようになりました。とても厳しかったけど、いい先生でしたよ(笑)。母は最初から私をピアニストにしたいと望んでいました。プロの音楽家というのは、親が子供を音楽家に育てようと一生懸命後押しをして、その結果プロになるケースがほとんどだと思います。そうでないと音楽の道に進むのは難しいでしょう。

Q 小さいころは「いやだな」と思いながらレッスンを受けていたこともありますか?

ル・サージュ 子供のころはいつも辞めたいと思っていましたよ! 将来の職業としてピアニストを選ぼうという気はさらさらなくて、できれば天体物理学者になりたいと考えていました。数学の成績がイマイチだったのであきらめましたが(笑)。結果的にこうなったので、ピアノのほうが向いていたと言えますね。
小さいころは毎日1、2時間しか練習していませんでした。ピアノと真剣に取り組もうと思うようになったのは14歳のときです。フランスの音楽教育は一極集中型で、プロの音楽家になるにはまずパリのコンセルヴァトワールに行かなければなりません。自分は14歳で地元エクサン・プロヴァンスの学校を修了してしまったので、音楽をそこでやめるか、あるいはそのまま音楽を続けるのであればパリに行くしかなかった。

Q パリに行って音楽を続けるというのはご自分の意志で?

ル・サージュ 自分の意志で、パリに行って普通の勉強も続けつつ音楽をやろうと決めました。このときは母と妹と一緒にパリに引っ越して3年間そこで学び、その後は引き続きパリで一人暮らしをしました。

Q コンクールなどはそのころから受けていたのですか?

ル・サージュ そうですね、16歳、17歳ぐらいからコンクールは受けていました。一般の学校だと卒業の際に受け取る証書(ディプロマ)自体がひとつの資格となって、就職の足掛かりになりますよね。でもピアニストの場合はプルミエ・プリをもらって卒業しても、自動的に仕事の依頼が来るわけではない。だからコンクールを受けたりして名前を売って、仕事をもらえるようにならなければなりません。

Q ポルト、シューマン・コンクール、リーズ・コンクールなどで入賞しましたが、そうした受賞の結果仕事がくるようになったのですか?

ル・サージュ 実際はそうでもないんです。コンクールで受賞して手に入るのは少々のお金と自信、それとほんの少しの知名度ぐらいのもので、入賞したからといって仕事が増えるとは限りません。私の場合は室内楽の演奏をするところからプロとしての生活が始まりました。ピアニストになろうと決意はしていたけれど、ずっとソリストとして生きていきたいとは思っていませんでした。ピアノ・ソロの作品には美しいもの、挑戦し甲斐のあるものなどいろいろありますが、室内楽にも素晴らしい作品がたくさんある。その両方に取り組んでいきたいという希望があったんです。ソロと室内楽の両方を並行してやることで、両方のスキルが補い合い、高めていくという効果があると思います。

Q 当時からずっと共演を続けている演奏家はいますか?

ル・サージュ たとえばポール・メイエとは17歳の時に出会って、一緒にコンクールに出場することもありました。当時フランスのチャンネル1というテレビ局主催のコンクールがありました。そこでポールが管楽器部門、私がピアノ部門で優勝して、共演の機会を得たんです。エマニュエル・パユともかなり若い時期に出会いましたね。今回一緒に来日しているレ・ヴァン・フランセのメンバーはみんな昔からの仲間なんです。

Q メイエやパユと一緒にサロン・ド・プロヴァンス国際音楽祭を主宰していらっしゃいますが、どういった想いで、いつごろからやっていらっしゃるのですか?

ル・サージュ 開催地のサロン・ド・プロヴァンスは地元エクサン・プロヴァンスの近くなので、家族や友人を呼びやすいんです。そこでこぢんまりとした音楽祭をやりたくて、親戚や友人の力を借りつつ25年ほど前に立ち上げました。手伝ってくれるのは音楽畑の人間ばかりではないんですよ。でも音楽や文化への理解のある人たちで、ずっと支援を続けてくれています。当初よりは規模が大きくなったけど、そういう人たちとのつながりも大切にしたいし、今後も小さくアットホームな手作りの音楽祭として続けていきたいと考えています。毎年夏に10日ほどをこの音楽祭で過ごしていますが、ここはオーディエンスとの交流の場であり、音楽を吸収する場であり、そして音楽家同士が繋がる場でもあります。こういう場があるからレパートリーも拡がるし、音楽の理解も深まっていくんです。

Q 2010年にシューマンのピアノ作品全集のレコーディングを終えられましたが、録音の分野で今後計画している大きなプロジェクトはありますか?

ル・サージュ 公表できるものは今のところありませんね(笑)。いろいろとやりたいことはあるんですけれど、具体化しているものはまだありません。これまでにプーランク、フォーレ、シューマンと3人の作曲家の作品集をまとまったかたちで録音してきましたし、今年はレ・ヴァン・フランセの3枚組のボックスもリリースされました。なので「それなりの仕事はしてきたかな」という気持ちでいます。

Q 指導者として多くの若い音楽家に室内楽とピアノを教えていらっしゃいますね。

ル・サージュ パリ音楽院では20年ぐらい前から、それと4年前からはフライブルク音楽大学でも教えるようになりました。教えながら自分自身がとても多くを学べるんです。何よりも「こう弾くべきではない」というのがすごくよく分かる(笑)。自分はパリのコンセルヴァトワールを17歳で卒業してから、自分の将来について漠然と悩んでいた時期がありました。その時期にマリア・クーシオという先生に出会い、それが転機になりました。先生はロンドンに住んでいて、すでにだいぶお歳を召していました。私はパリからロンドンに通って、いろいろと教えていただきました。自分は手が大きくてテクニックがあったので、パリのコンセルヴァトワールではいわゆるヴィルトゥオーゾ的な作品ばかりを課題として与えられていました。でも個人的にはそういう曲よりもシューマンやモーツァルトなどの作品を弾きたいと思っていた。そんな時期にクーシオ先生は私が望んでいたレパートリーを見てくださり、ピアニストとしてやっていく道を示してくれました。
 クーシオ先生からは多くを学びましたが、生徒を教えることからも多くを得ています。自分とクーシオ先生は非常にいい関係を築けたし、だからこそ自分が教える側になったときは生徒と良好な関係を作りたいと思っていました。よい影響を与えつつ、自分も成長できたら理想的ですよね。ただ実際は、ある生徒とはウマが合っても、別の生徒とはいまひとつしっくりこない、ということだってあるわけです。もちろん全員にとっていい教師であろうとはしていますけれど。でもその中の何人かにとって、クーシオ先生のような存在になれたら嬉しいですね。教えることはとても好きなので、今後もずっと続けていきたいです。

Q ピアニストとして、あるいは音楽家としての今後の目標をお聞かせください。

ル・サージュ とにかく進歩していきたいですね。ピアノに限らず、昨日より今日、今週より来週、今年より来年のほうがよくなるようにしたい。それが自分にとっての目標です。シューマンやベートーヴェンの大曲にしても、今の演奏よりも将来の演奏のほうがいいものになっていないと。名作を演奏するときは絵画の中に入っていくような感覚になるんですが、年齢を重ね、同じ曲を何度も演奏するにつれて、今まで分からなかったディテールが見えてきたり、理解できるようになったりする。そうやって作品を追求してくのは音楽家にとって大いなる喜びでもあるんです。

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:ジャパン・アーツ)

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