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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.35 より

 「ソロ」 バティスト・トロティニョン

 バティスト・トロティニョン(p)

 2002年12月 フランスで録音

 ジャズといえばアメリカの専売特許という印象がありますが、でもそれはちょっと昔の話。たしかに今でもかの国がジャズの重要な発信地であることには変わりありませんが、ここ20年ほどはアメリカを凌ぐ勢いで他の国からも優れたジャズが続々と登場しています。とりわけヨーロッパにおけるその隆盛ぶりはめざましく、たとえばオンラインCDショップでリコメンドされる新譜の6割方はヨーロッパのミュージシャンのものといっても過言ではありません。

 そんな欧州系ジャズの大きな特徴を、きわめて乱暴かつ大雑把に括って挙げるとすれば、それは「徹底的なクラシックの訓練によって得られたであろう高度なテクニックと、ソノリティやサウンドに対する鋭敏な感覚」ということになるでしょうか。この傾向はとりわけピアニストに強くあらわれるようで、彼らの演奏を聴くと、クラシックでも十分に通用するような技術の冴えと響きの美しさに驚かされること、しばしばです(もちろんアメリカのピアニストも、特に中堅から若手は同様の傾向にある人が少なくありませんが、それでも彼らの音楽は多かれ少なかれ、「ブルース」という頸木に支配されていて、純欧州産のそれとは在りようを異にしているような気が僕はします)。そんなヨーロッパのジャズ・ピアニストの中でも、近年ダントツの存在感を示しているのがバティスト・トロティニョンです。

 1974年、フランスのパリ近郊生まれ。8歳からピアノをはじめ、その後ナント音楽院に入学しピアノ演奏と和声楽のコースを修了。おなじ頃ジャズと即興演奏に目覚め、16歳の時に最初のジャズ・コンサートを開く。……以上のプロフィールからも想像されるように、トロティニョンもまたその出発点は、「欧州系の典型的スタイルを持つピアニスト」でした。冴え冴えとしたタッチと流麗にしてスポーティブなノリ。クールなハーモニーとソングライクなメロディー・ラインの共存。2000年にリリースされた彼のデビュー作「FLUIDE」は、当初輸入盤のみの扱いだったにもかかわらず、またたくまに我が国のピアノ好きのあいだで評判となり、局地的なトロティニョン・ブームが巻き起こったほどです。

 しかし今にして思うと、あのアルバムはこの音楽家の豊かな才能のごく一部を示したに過ぎなかったのかもしれません。というのも、その後彼が発表したアルバムや展開している活動は、「期待の新鋭ジャズ・ピアニスト」という評価ではとても表しきれないものだからです。トリオ、カルテット、クインテットといったオーソドックスなフォーマットでのジャズはもちろんのこと、ロック・ミュージックのカヴァー、自作組曲のオーケストラ化、果てはガーシュインの《ラプソディー・イン・ブルー》や《ピアノ協奏曲ヘ調》のソリストまで、その多彩さと、各プロジェクトに対する取り組みの深さは、彼を単なるジャズ・ピアニストと呼ぶことに躊躇を感じてしまうほどです。

 そんなトロティニョンですから、アルバムを1枚だけ選ぶのは非常にむずかしいのですが、ここでは彼のピアニズムに焦点を絞り、ソロのパフォーマンスをご紹介することにしましょう。

 この作品を聴いた時、まず僕がびっくりしたのは、この人の引き出しの多さでした。演奏者のペンになる11の楽曲を収めたこのアルバムは、長い曲で8分ちょっと、短い曲で1分足らずという、いってみれば小品集的な趣を持っているのですが、トロティニョンは強力無比なテクニックと豊富なアイディアを駆使して、それぞれのトラックごとにまったく異なる表現を提示してみせます。滴るようなリリシズム、天馬空を行くような疾走感、音と戯れるかのような童心、静謐、奔放、哀愁、愉悦……そういう、あらゆるものが詰め込まれた本作には、ともするとソロ・ピアノが陥りがちな退屈さ、冗漫さがかけらもありません。しかもこの音楽には――叙情性にコーティングされていて見過ごされがちではありますが――聴き手を喜ばせるエンタテインメント性だけではない、そこからもう一歩奥に踏み込んだ奏者自身の強い表現欲求が、必要とあらばすべてを敵に回してもかまわないという覚悟が、見え隠れするのです。数多ある欧州系ピアニストの中で、彼が一頭地を抜いた存在になり得ているのは、その表現者のエゴゆえに、ではないかと僕は思うのですが……。

 この6月、アレクサンドル・タローとともに王子ホールに登場するトロティニョン。そこではどんな新境地を聴かせてくれるのでしょうか。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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