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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.32 より

「オフィチウム」
ヤン・ガルバレク&ヒリヤード・アンサンブル

ヤン・ガルバレク(ss,ts) ヒリヤード・アンサンブル

1993年9月 オーストリア 聖ゲーロルト修道院にて録音

 ジャズにとって即興演奏が重要なファクターであること、これはいうまでもありません。しかし、ではその即興演奏はまったくの無から有を生み出すものかというと、実はそういうわけでもないのです(例外的にそういう超ストイックな演奏もありますが)。一般的なジャズの場合、即興演奏をするためには、まずその骨組みとなる原曲が必要です。スタンダード・ソング、自分のオリジナル曲、最近流行のロックやJ-ポップ・ナンバー、時にはクラシックの有名曲etc.と、まあその原曲はなんでもよいのですが、とにかくジャズマンたちは、その曲を構成するコード進行を元に、さまざまな理論と己の音楽性を駆使して即興演奏を繰り広げていくのです。

 ならばクラシックはどうか。「作曲家が身を削るように1音1音を吟味して作り、それを精密にスコア化した、ジャズとは正反対の音楽」ふつうはそう考えますよね。ところが、どうやらクラシックでもその発生当初はジャズと同様のこと――つまりもともとある曲のフェイク――がおこなわれていたようなのです。音楽学者にして音楽評論家の岡田暁生氏はその著書「西洋音楽史」(中公新書)の中で、こう書かれています。「(中世の)当時はまだ、ゼロから何か曲を作るという意識はほとんどなかった。曲を作るとはグレゴリオ聖歌に何かを少し加える(飾る)、つまりそれを編曲することだったのである」。

 ご存知のように、グレゴリオ聖歌とはローマ・カトリック教会の典礼に使われた、私たちがその具体的な響きを(正確ではないにせよ)体感できる最古の音楽です。この聖歌はまた、単旋律で歌われることを特徴としていますが、しかし人間というのは、単調なものにはなにかしら変化をつけたくなるもの。最初はごく控えめに(聖歌は神の教えですから、あだやおろそかには扱えません)、けれど時代を経るにつれてより大胆に、人々はグレゴリオ聖歌を「原曲」とした改編行為をおこなうようになるのです。

 もちろんジャズとクラシックは、その特質を大きく異にする音楽です。しかし原曲を改編する自由さという部分には両者には共通項があるのではないか、そして両者が共存したとしたらどんな音楽が鳴らされるのか……。ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、今回ご紹介するのは、そんな想像を実際の音としてきかせてくれる作品です。

 本作の主役の1人、ヤン・ガルバレクはノルウェー出身のサックス奏者で、70年代半ば、キース・ジャレットと共演したことで一躍その名をジャズ・シーンに知られるようになった人です。彼はデビュー当初から従来のジャズの伝統にとらわれない進歩的なプレイを信条としていましたが、80年代以降はその指向性がさらに加速し、民族音楽的な要素をふんだんに取り入れた作品を次々と発表するようになります。一方のヒリヤード・アンサンブルについては、おそらくこれを読んでいるみなさんのほうがくわしいでしょう。中世・ルネサンス期音楽のオーソリティーにしてクラシック業界にあるまじき(笑)人気を誇る男声コーラス・グループ。

 本作は、そのヒリヤード・アンサンブルが、グレゴリオ聖歌をはじめ中世のオルガヌム、モテットを歌い、その歌の“周辺”でガルバレクが即興を繰り広げるという作りになっていて、ベースとなる響きのテイストは、いわゆる古楽の“あの感じ”なのですが、しかし1曲1曲にじっくりと耳を傾けていくと、我々は音楽というものの強靱さと柔軟さを同時に体感することになります。

 たとえば《とこしえに統べる方を》と題された聖歌は単旋律がカノン風に歌われていく曲ですが、ガルバレクがその歌を土台としてモーダルなアドリブを展開すると、そこには曲ができた当時はまだなかったはずのハーモニーの予兆が出現するのです。あるいはイングランドのソルズベリ聖歌《かの処女はむちで打たれ》。ここにきかれるサックスの、原曲の忠実な模倣とその後にくる解体は、作曲と即興がいかに分かちがたく結びついているかを我々に教えてくれます。また16世紀スペインの作曲家デ・モラーレスの《わたしを見逃してください、主よ》は、2つのサックス入りバージョンとサックスなしの無伴奏バージョンが収められていますが、これをきけば、1つの旋律に――その手法がジャズであろうがクラシックであろうが――どれほどの可能性が秘められているかがわかるはずです。

 時代を超え、ジャンルを超えた「音楽」。あなたの耳にはどう響くでしょうか。

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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