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王子ホールマガジン 連載

クラシック・リスナーに贈る
ジャズ名盤この1枚

文・藤本史昭

王子ホールマガジン Vol.57 より

「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング/ビル・エヴァンス」

 ビル・エヴァンス(p) エディ・ゴメス(b)
 エリオット・ジグムンド(ds)

 1977年8月23~25日/
 ハリウッド、キャピトル・スタジオで録音

 ビル・エヴァンスが世を去ったのは1980年9月15日のことですが、実はその5日後、彼は5度目の来日をする予定になっていました。当時学生だった僕は、かなり無理をしてチケットを買いその公演を心待ちにしていたので、突然の訃報はそれはそれはショックでした。ショックのあまり食事も喉を通らなかったほどです(というか、食費を削ってチケットを手に入れたので、食べようと思っても食べられなかったというのがホントのところですが)。
 ところがそれから数ヶ月後、来日を果たせなかったことへの詫び状のように、彼の遺作が我々の手元に届きます。それが今回ご紹介する『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』です。

 いうまでもないことですが、51年の生涯においてエヴァンスは、数多の歴史的名盤を遺しました。ジャズ・ピアノの面貌を刷新した『ワルツ・フォー・デビー』をはじめとするリヴァーサイド4部作。ソロ・パフォーマンスの表現領域を深化/拡張させた『アローン』。内に秘めた雄々しさを開陳してみせた『アット・ザ・モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』。しかしこの『ユー・マスト~』はそのどれとも異なる独特のムードを持っていました。感傷的と呼ぶにはあまりにも透明なその音楽は、まるで黄泉の国から響いてくるかのよう。誤解を恐れずにいえばそこに僕は、ピアニストが抱いていたかもしれない“死への憧憬”を嗅ぎ取ったのでした。
 思えばエヴァンスの人生には、常に近しい者の死がつきまとっていました。父親が先に逝ったのは自然の摂理ゆえ仕方のないものとしても、共にジャズの変革を成し遂げようとしたベーシスト、スコット・ラファロの交通事故死、最初の妻エレインとエヴァンスに多大な影響を与えた兄ハリーの自死(前者は地下鉄に飛び込み、後者はピストルで自身を撃ち抜いたのです)といったたび重なる不幸は、いつしか彼の心に「生き残った者の負い目」を植え付け、育んだのかもしれません。
 エヴァンスの直接の死因は出血性潰瘍でしたが、その遠因となったのは長年にわたるドラッグの摂取とそこからくる重度の肝炎でした。しかし彼はその悪癖と病をまったく省みず、それどころか進んで暗路へと迷い込んでいきます(エヴァンスの親友だった作家のジーン・リースは「彼の死は歴史上1番時間をかけた自殺だった」といいました)。そしていよいよ死期がそう遠くないと悟った時、彼はこの遺言にも似たアルバムを録音した・・・・・・ここにある縹渺たる音階をきくにつけ、僕にはそう思えてならないのです。
 陽炎のように揺らめくテンポと調性に乗せて、亡きエレインへの哀惜の思いを綴った〈Bマイナー・ワルツ〉。ミシェル・ルグランが映画「ロシュフォールの恋人たち」のために書いたナンバーを情感豊かに歌い上げた〈ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング〉(ここにきかれるエディ・ゴメスのベース・ソロは、彼のキャリアの中でも最上のものです)。ヴァイブラフォン奏者で作編曲家でもあったゲイリー・マクファーランドの佳作に玄妙なタッチで新たな生命を吹き込んだ〈ゲイリーズ・テーマ〉。アルバム・リリースの直前になくなった兄ハリーを悼んでタイトリングされた〈ウィ・ウィル・ミート・アゲイン〉。いぶし銀ピアニスト、ジミー・ロウルズの名曲に暗い抒情をまとわせてきく者の心を揺さぶる〈ザ・ピーコックス〉。アルバム中はじめて長調に転じ、かすかな希望を感じさせてくれる〈サムタイム・アゴー〉。そして、天上から差しのべられる救済の光のようにそれまでの沈んだ空気を浄化する〈マッシュのテーマ〉。ここには自分の生命と引き替えることによってしか得られなかったであろう魂の歌たちが、静かに佇んでいます。
 もし「ビル・エヴァンスから1枚だけ」という無茶な注文をされたら、僕は散々迷ったあげくこの作品を選ぶかもしれません。が、その一方で、選んだくせにそう頻繁にはきかないこともわかっているのですが。好き過ぎるがゆえにきくのを躊躇してしまう音楽というのも、たしかにこの世にはあるのです。

 さて、2003年にはじまったこのコーナーも今号が最終回。ふと気がつくとなんと14年の月日が過ぎていました。振り返ってみれば、あれも紹介したかった、これもきいてほしかった…という心残りは多々ありますが、とりあえずはここで打ち止め。長きにわたっておつきあいくださり、本当にありがとうございました。機会があれば、またいつかどこかで!

著者紹介

藤本史昭/1961年生まれ。上智大学文学部国文学科卒。写真家・ジャズ評論家として活動。「ジャズ・ジャパン」誌ディスク・レビュアー。共著・執筆協力に『ブルーノートの名盤』(Gakken)、『菊地成孔セレクション~ロックとフォークのない20世紀』(Gakken)、『ジャズ名盤ベスト1000』(学研M文庫)などがある。王子ホールの舞台写真の多くは氏の撮影によるもの。
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