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ジョルディ・サヴァール 一問一答

王子ホールマガジン Vol.42 より

2005年にエスペリオンXXIのリーダーとして登場して以来、8年ぶりに王子ホールの舞台に立ったジョルディ・サヴァール。古楽界を半世紀近くにわたって牽引してきた彼に、その音楽探求の旅路について語っていただきました。

ジョルディ・サヴァール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

バルセロナ生まれ。バルセロナ音楽院でチェロを学び、卒業後は独学でヴィオラ・ダ・ガンバおよび古楽を学ぶ。1968年よりバーゼル・スコラ・カントルムで研鑽を積み、73年に師アウグスト・ヴェンツィンガーを継いで後進の指導にあたる。音楽界における傑出した人物として知られ、奏者およびディレクターとして過去40年以上にわたり調査、研究、そして解釈に力を注いでいる。

 

Q 半世紀近くにわたり古楽のフィールドを牽引なさってきたわけですが、キャリアはどのように始まったのですか?

ジョルディ・サヴァール(以下「サヴァール」) いにしえの音楽の発掘を始めたのは48年ほど前になります。バルセロナの大学を卒業してからですね。当時はまだまだたくさんの美しい音楽が埋もれていて、まったく演奏されていなかった。そのこと自体が驚きだったし、だからこそ自分の人生をヴィオラ・ダ・ガンバに捧げようと決意しました。それまで9年間はチェロを学んでいて、ようやくチェリストとして世に出る準備ができたところだったので、周囲の人々にも驚かれました。でもあのときの決断のおかげでとても面白い冒険ができた。当時は古楽をやる人なんてほとんどいなかったんです。オーストリアのニコラウス・アーノンクール、スイスのアウグスト・ヴェンツィンガー、ベルギーのクイケン兄弟など、一握りのパイオニアが活動をしていただけでしたから。

Q そういったパイオニアの方々に触発される部分は大きかったのですか?

サヴァール ヴェンツィンガー先生とは、彼がバルセロナでシリーズ・コンサートを行ったときに面会し、それが契機となってバーゼルのスコラ・カントルムで師事することになりました。当時はドイツグラモフォンのアルヒーフ・レーベルのレコードを聴きあさっていましたね。アーノンクールのヴィオール・コンソートなど、とても面白かった。自分は一人ではない、他にも同じ志を持った人たちがいるのだと知って心強かった。

Q ヴィオラ・ダ・ガンバは決してメジャーな楽器ではありませんよね。楽器を見つけること自体も難しかったのでは?

サヴァール その通り。当時バルセロナで活動していたアマチュアの古楽グループがあり、モンセラート・フィゲーラスもそのグループにいました。彼女とは学生時代からの知り合いで、私がちょうど学校を卒業した時期に、この古楽グループのリーダーがプロのヴィオール奏者を探し始めたんです。そこでモンセラートは自分が知っているバッハ演奏が得意な若いチェロ奏者、つまり私を紹介してくれた。ですからうまい具合に、ヴィオラ・ダ・ガンバに興味を持ち始めたところでタイミングよく楽器が手に入ったのです。
 ガンバを手にしてから、最初の3年間は一人で練習に明け暮れました。パリやロンドンやブリュッセルの図書館で古い文献を漁り、手稿譜を頼りにいろいろと試行錯誤を繰り返しました。結局のところそれが最善の学習方法だったと思います。

Q 現在ではデジタルアーカイブが普及していますが、ご自身が研究に明け暮れていた時代と比べて便利になったと感じますか?

サヴァール 古楽の研究は昔からテクノロジーの恩恵を受けていたといえますよ。確かに私の先生や先輩たちの時代は、わざわざパリの図書館へ行って手稿譜を手書きで写していました。けれど私が研究を始めた1966年頃には、マイクロフィルムを活用できるようになっていた。パリの図書館でマイクロフィルム化を依頼して、あとは自宅でマイクロフィルムを見ることができたわけです。マレやクープランなどの作品をマイクロフィルム化し、映写機を使って自室の壁に楽譜を投影する。それを見て研究したり演奏したりしていました。そうやってヴィオールの奏法を研究し、音楽家としての道を切り拓いていったんです。お金はかかったけれど(笑)。

Q バーゼルのスコラ・カントルムに入学後はどのような研究をなさったのですか?

サヴァール まずヴェンツィンガー先生に自分のこれまでの研究活動について説明しました。先生は私の指導を引き受けながらも、私のやり方を尊重してそのままにしてくれた。それは非常にありがたいことでした。先生としても、「君は君でいろいろと情報を持っているから」として私を受け入れてくれた。なにしろ150年以上にわたってほとんど顧みられなかった楽器ですから、人々がかつてどのように演奏していたのかは、楽譜から読み解いていかなければならない。ですから自分にとっての一番の教師は、マラン・マレの著作やアントワーヌ・フォルクレの手紙、当時の音楽家たちに向けた演奏法や旅行に関する書籍などでした。文献を見ると演奏の基礎に関する記述はあるので、あとは実際に楽器をいじりながら少しずつ技術を体得していったんです。
こうした研究をするうえで何より大事なのは「時間」と「情熱」です。私は古楽を志してから最初のレコーディングをするまでに10年の歳月を費やしました。10年の間、毎日少なくとも8時間は練習した。それだけの時間を費やしてようやく古楽の「語法」が自然に感じられるようになったんです。長い時間ですけれど、楽しい時間でもあった。毎日のように発見がある。毎日少しずつ理解が深まるのを感じられる。異国に住むのと同じような感覚でしょう。当初はその国の言語がまったくわからない。でも徐々に何と言っているかがわかるようになり、数年後には自らがその言葉を話せるようになる。

Q ですが若い時期に、キャリアがものになるかどうかも分からないものに長い時間をかけるというのは勇気の要ることですよね。

サヴァール そこは何とかして食いつながないと。私も最初は奨学金をもらいましたし、ガンバやチェロを教えて報酬をもらっていました。そうやって地道に稼ぎつつ勉強し、5年を過ぎたぐらいから、小さな演奏会を開くようになりました。そして1973年にスコラ・カントルムの教員試験に合格して、やっと生活が安定してきた。それでも勉強を始めてからすでに8年の歳月が経っていました。古い時代の音楽をやる以上は、時間をかけてその世界を探究する情熱が必要です。効率を追求すると表面をなぞるだけで終わってしまう。音楽には成熟と感性と技術が求められますが、そこに気持ちがこもっていなければ意味がないんです。

Q これまで実に多種多様な音楽を発掘し、紹介してこられました。世界にはまだまだ探求すべき素材があるとお考えですか?

サヴァール 私はあらゆる「美」に心を惹かれるし、音楽でいえば常に新しい経験をしたいと考えています。面白い音楽家がいると知れば、それがイスラエルだろうがイスタンブールだろうがアルメニアだろうが、出身に関係なくその人物に興味を持つ。フランシスコ・ザビエルの生涯を音楽でたどる「東洋への道」プロジェクトでもそうでした。尺八や琵琶など、日本人の素晴らしい音楽家と知り合うことができ、素晴らしい経験になりました。音楽のスタイルは大きく違っていても、その精神は変わらない。場合によっては少しの時間を共にし、音楽を共に奏でるだけで分かり合えるんです。私はモンセラートたちと始めたセファルディの音楽をはじめ、アフガニスタン、トルコ、イスラエル、アルメニアなどの音楽、最近ではバルカン半島の音楽に魅了されています。ケルト音楽も研究していますし、美しく素晴らしいレパートリーはたくさんあります。

 近々実現したいなと考えているのは、マルコ・ポーロの音楽の旅。まだまだ研究が必要ですが、面白いものになるでしょうね。それから2015年、16年あたりに奴隷の歴史をたどるプロジェクトも考えています。中世に地中海でさらわれイスラム世界に送られた奴隷たち、そしてアフリカから新世界に送られた奴隷たち――合計3,000万人に及ぶ人々が奴隷にされ、そのうち200万人が輸送中に命を落としたといわれています。そんな奴隷たちに関係する音楽も今に伝えられているんです。私はいつも音楽と人間の生、そして歴史の記憶を結び付けたいと考えています。今では忘れられようとしている奴隷の悲劇など、音楽に結び付けることで伝えていきたい。悦びをもたらすだけが音楽ではない。音楽だからできる人類への貢献というのも、確かにあるはずなのです。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:アスペン)

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