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特集 「二本の木」ができるまで(全4回連載)
その1「声楽家・宮本益光」ができるまで

王子ホールマガジン Vol.39 より

王子ホールの昼のコンサート・シリーズである「銀座ぶらっとコンサート」ではすでに70回を超える公演が行われてきたが、そのなかで最も息の長い企画となっているのが『宮本益光の王子な午後』だ。バリトン歌手の『王子』こと宮本益光が毎回趣向を凝らしたプログラムで会場を沸かせるため、今では王子ホールの主催公演の中でも指折りの人気公演となっている。そんなお昼の顔が、2014年にこのホールで新作の初演に挑む。
 「二本の木」。NHKでも番組化された、ある夫婦のがん発症から最期までを綴った日記を連作歌曲にしようという企画だ。宮本益光の企画意図に賛同した王子ホールの委嘱により、2014年2月に上演される。小誌ではこの作品ができるまでの過程を全4回にわたって追っていく。まずは宮本益光のこれまでの足跡と、「二本の木」の舞台化を決意するに至った経緯についてお目通しいただきたい――

宮本益光(バリトン)

演奏、作詞、訳詞、執筆、演出と多才ぶりを発揮する新時代のバリトン。東京藝術大学、同大学院博士課程修了。2003年『欲望という名の電車』スタンリーで脚光を浴び、翌年の『ドン・ジョヴァンニ』標題役で衝撃的な二期会デビュー。その後も常に大舞台で活躍し、近年では10年神奈川県民ホール・びわ湖ホール『ラ・ボエーム』、新国『鹿鳴館』、日生劇場『オルフェオとエウリディーチェ』に出演。11年には二期会『ドン・ジョヴァンニ』標題役で出演し、絶賛を浴びた。「第九」や宗教曲でも読売日響、東京交響楽団、日本フィル等と共演を重ねる。イタリアからの室内合奏団アンサンブル・クラシカとのコラボによるCD「碧のイタリア歌曲」をニューリリースした他、CDは「おやすみ」「あしたのうた」、DVD「宮本益光リサイタル~日本語訳詞で聴くオペラ名場面集」、著作に『宮本益光とオペラへ行こう』、自ら作詞した歌曲の詞をまとめた詩集『もしも歌がなかったら』を発売している。12年4月二期会創立60周年記念ガラ・コンサート、11月日生劇場開場50周年記念特別公演 オペラ『メデア』イヤソン、13年2月二期会『こうもり』ファルケ、6月新国『夜叉が池』(世界初演) 学円と話題の公演への出演が続く。二期会会員。

 

宮本益光の修業時代

宮本益光は音楽一家に生まれたわけでも、幼少期からオペラのレコードを愛聴してきたわけでもない。彼を音楽へと向かわせたのは、少年時代に出会った一人の教師だった。
 「小学校4年生のときにカリスマ性のある音楽の先生が赴任してきました。その先生が鼓笛隊をつくってから校内の音楽熱が一気に高まって、卒業するころにはほとんどの6年生が『将来は音楽関係の仕事に就きたい』と文集に書くほどでした。僕はトロンボーンを任されて、楽しい音楽生活を送りました。そして『あれだけ人に影響を与えられるというのは素晴らしいことだ。あんな先生になりたい』と強く望むようになったんです」。
 中学校でも吹奏楽を続けた宮本だが、高校に入ってからは音楽教師への道を進むために音大受験を意識する。歌の修業を始めたのもこの時期だ――ただし歌が好きだから始めたわけではないらしい。
 「吹奏楽をやっていると合唱部とライバル関係にあったりして、合唱を目の敵にしているような部分もあったんです。でも音楽の先生になったら授業の半分は歌を教えなければならないし、それならば歌を好きにならないと説得力がないと思いました。そうして歌を始めて、自分は最高に歌がうまいと錯覚してコンクールを受けたところ、四国予選で4回中3回は最下位。これはおかしいぞと(笑)」。
 高校2年生のときに一念発起し、東京藝大を目指して音楽に打ち込むようになった。
 「1年間、がむしゃらに修行しました。朝6時半に学校へ行って歌い、昼休みはピアノを弾き、放課後に部活動をやって、その後で練習をして帰るという生活です。練習が大好きだったし、どんどん声楽が楽しくなっていった。子どもみたいですけど、敬愛する師匠に褒めてもらいたいという気持ちも大きな推進力になりました。後日『先生、合格しました』と報告したら、『嘘じゃろう!? そんなんで受かってしまったらいかんのじゃが』と言って困っていらした(笑)」。
 藝大に進学した宮本は、周囲の学生から様々に刺激を受けつつ勉強に励み、また音楽関係のアルバイトにも精を出した。「歌手になるための修行に邁進している学生と比べると自分はまだまだ」だったと語るが、教養の裾野を広げ、子どもたちの指導やボランティアでの演奏など、今につながる経験を積んだ。その後大学院へと進学するが、それも教員になるという目標のためであった。
 「難関と言われる藝大の大学院へ挑戦したのも、いずれ教員として役に立つだろうと思ったからです。博士課程に進むときも、教員採用を受けるべきか博士課程を受けるべきか悩みました。20代のころは歌手になるとは思っていませんでしたよ。まだ教員になるつもりでいた。ステージで歌うこともオペラに出ることも、すべて教員になるための経験だと考えていたんです。でもだんだん舞台出演の依頼が増え、それで生活できるレベルになり、より多くの時間を実演のために費やすようになりました」。
 そしてもう教員になることはないだろうと悟ったときに、教員になって何をしたかったのかを今一度自問したという。
 「自分が本気になってぶつかった経験をもって子どもたちに向かい合い、それによって彼らが何かしらの影響を受けて、音楽家にならないにしても、あと一歩というときの勇気を持てるようになってほしい。教えるというのは、知識を与えるだけではなくて、人が人に接することで何かしらの指針になることではないでしょうか。たとえば自分がモーツァルトと200年の時を超えて真剣に語り合い、それを舞台にかける。それによってお客様がひととき没頭することができたなら、その後の生活に何らかの影響が生まれるはずです。それは教えることと一緒ではないかと思う。そう思うようになってから自分の中でいいバランスを保てるようになりました」。
 歌手としてのステージに立つのはもちろん、作詞や訳詩、作曲、執筆、そしてコンサートの司会や企画もこなす。多岐にわたる活動というとありきたりだが、彼の中ではすべて声楽家・宮本益光であることにつながっているようだ。
 「多くのアーティストがそうだと思うけれど、声楽家であるというのは、いかに自分らしくあるかということだと思う。シューベルトの《魔王》を演奏するうえで誰かの真似をしては意味がなくて、自分が読み解いた《魔王》を歌うしかない。そのためには自分と向き合い、自分らしくあることが必要です。大袈裟な言い方をすると、僕は自分がより自分らしくあるために活動している。自分を自分として確立するための歌であり、文章であり、演出であるわけです」。

『王子な午後』シリーズ

各地で精力的に舞台に立ち独自の企画を実現してきた宮本益光が初めて王子ホールのステージに立ったのは2006年のこと。
 「もう14回ですけど、こんなに続くとは思っていなかった。7年ですよ! 7年も同じホールで同じ構成でシリーズを続けられるというのは、ありがたいの一言ですね。はじめに企画のプレゼンをしに来たときと、第1回の公演をやったときのことは忘れられません。自分のアイディアにはある程度自信があったし、お客様が楽しんでくださる様子も感じていたけれど、多くの方が自分を知らない場所で、はたして楽しんでいただけるだろうかという不安がありましたから」。
 2回、3回と数を重ねるにしたがい「演奏とトークを楽しみ、音楽について新たな知識を得て家路につけるコンサート」というスタイルが確立された。昼の「ぶらっとコンサート」が定着したのも、彼のシリーズの成功に負うところが少なくない。
 「素晴らしいことですよね。お客様を集めるのが難しい時代に、『チケット取れないのよ』といろんな方に言われる。僕としては『頑張って!』と言うしかないのだけれど(笑)。年に2回というスパンもあっという間で、毎回違う曲を出すし、違うアイディアで臨むから、準備も大変なんです。でもそうやって挑戦させていただける面白さと、響きを熟知しているホームグラウンドで、素晴らしいパートナーと声を出せる――いわば『仕合い』ができるということが、自分にとってはある種のバロメーターになります」。

「二本の木」との出会い

そんなホームグラウンドで上演する運びとなった連作歌曲「二本の木」。宮本がこの題材と出会ったのは2010年のことであった。
 「オーケストラと東北地方をニューイヤーコンサートでまわっていたんです。ある日公演後に疲れ果ててホテルに戻り、何気なくテレビをつけたら、NHKで『二本の木』の番組が放映されていました。片岡仁左衛門さんと竹下景子さんが、がんに冒された夫婦の日記を朗読するという番組でした。着替えたりしながらなんとなく耳に入っていたんですけれど、『何かすごいことをやっているな』と段々耳を奪われ、目を奪われ、そして心を奪われた。あれは何だったんだと思うほどに引き込まれた。ちょっと俗な考えですけれど、これが演奏だったら同じ効果があるのだろうかと思ったりして。その後再放送を観たり本を読んで、自分は何よりもその内容に心を打たれたのだと確信しました。『夫婦そろってのがん患者の悲しい話』ではなくて、二人の男女の生き様とか、夫婦のありようとか、命の行方とか、人間の根源的な部分を彼らの実体験を通して突きつけられたんです。しかもそれは詩としてつづられているのではなくて、彼らの生活に根差した『日記』というかたちになっていた。飾られてはいないけれど真実がある。それを自分たちの音で表現し、自分たちが彼らの想いに沿うことで何かを見つけられるのではないかと思ったんです」。
 作品化を決意した宮本は早速関係者にあたり、実現への道筋をつけていった。
 「まずこの題材を映像化なさったNHKのプロデューサーに自分の意向を伝えて、ご遺族に連絡をとっていただきました。一緒にお食事をして、自分は多くの視聴者や読者と同じようにご両親の言葉に感銘を受け、自分が今まで鍛えてきた声をもってその言葉を発したいのだとお伝えしました。ご遺族からすれば、自分の両親の日記を舞台作品にすることで故人を辱めることになりはしないかという懸念もあったことでしょう。ですが舞台化を認めていただいて、歌曲にするためにある程度の編集が必要だという点についてもご理解をいただきました。」。
作品化にあたっては、日記というかたちで遺された膨大な量のテクストを歌詞にする作業が必要となる。連作歌曲としてまとめるうえで、シーンの選定などにも心を砕かねばならないだろう。
 「これはかなり難しいことです。亡くなった方の文章だし、ご遺族の気持ちも尊重しなければならない。でも舞台でしかできないことが必ずあって、1時間の舞台作品でも人間の一生を描くことは可能だし、過去から未来まで描くことだってできる。本では時系列になっていますけれど、そこに縛られることなく、舞台でしかできない表現をしたいし、そういう構成を考えています」。
 作曲を担当するのは盟友の加藤昌則。宮本も加藤も日本の歌を継承し、未来に伝えていく立場にある。「二本の木」もそのひとつになる存在だろう。
 「結果としてそうなるといいですね。加藤君とは、学生のときからもう18年ほど一緒に活動しています。だから実演の際に、彼ならこう弾く、彼ならこう歌うというのが見えている。今度の連作歌曲にしても、僕らにしかできない作品づくりのプロセスをベースにできます」。

次のステップ

「二本の木」の作品化に向けて、次はどんなステップを踏むのだろうか。
 「加藤君と枠組みを作り終えているので、ここからお互いの持っているものをぶつけ合う時間になるのかなと思います。今のところ3月中に音を出せる状態にまでもっていき、曲順やメロディや和声といったところの目安をつける。何回かリアリゼーションをして、実際に歌って試しながら推敲を重ねていきたいなと考えています」。
 「二本の木」の小沢夫妻ゆかりの地も訪れることを考えているらしい。
 「ご遺族からはご両親の手紙や写真も実際に見てほしいとおっしゃっていただきました。本を読むと春のシーンが印象的なので、春になったら加藤君と一緒に訪問したいと考えています。そこで言葉がガラッと変わる可能性もあるし、どういう変化があるか、今から楽しみにしています」。

(文・構成:柴田泰正 写真:藤本史昭 協力:二期会21)

【公演情報】

王子ホール委嘱作品
連作歌曲「二本の木」

2014年2月15日(土) 14:00開演(13:00開場)
全席指定5,500円

出演:
宮本益光(バリトン)
加藤昌則(作曲・ピアノ)
澤畑恵美(ソプラノ)
豊永美恵(クラリネット)

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二本の木 夫婦がん日記
小沢 爽・小沢千緒著

NHK出版(ISBN978-4-14-081423-9) \1,470
[単行本・四六版・244ページ]

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二本の木 ~がんで逝った夫婦 815日の記録~
出演:片岡仁左衛門、竹下景子

NHKエンタープライズ(B003JYMJPS) \3,990

[DVD・リージョン2・73分]

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