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対談 篠崎“まろ”史紀×星野桃子(王子ホール チーフ・プロデューサー)

王子ホールマガジン Vol.37 より

王子ホールがオープンしたのは1992年10月25日。今年の秋でちょうど20周年を迎えます。現在ではランチタイムの銀座ぶらっとコンサートなどお馴染みとなったシリーズがいくつかありますが、なかでも2004年からスタートしたMAROワールドは王子ホールの誇る看板公演となりました。異ジャンルとのコラボレーションをはじめ、各地のオーケストラのコンサートマスターや首席奏者が名を連ねる室内合奏団MAROカンパニーによる演奏会など、これまでに様々な試みを実現してきました。王子ホール開館20周年の節目となる今号では、ともにMAROワールドをつくりあげてきた“まろ”こと篠崎史紀と王子ホール チーフ・プロデューサーの星野桃子による対談を通じ、演奏家とプロデューサーそれぞれの『サロン』コンサートにかける想いをお伝えします。

篠崎史紀(ヴァイオリン)

愛称 "まろ"。NHK交響楽団コンサートマスター。北九州市小倉出身。1963年、両親共にプロの幼児教育者の家に生まれ、3歳より父、篠崎永育にヴァイオリンの手ほどきを受ける。15歳の時に毎日学生音楽コンクール全国第1位。16歳で単身3ヶ月のザルツブルク夏期講習に参加。高校まで地元で過ごし卒業と同時に8年間に及ぶウィーン留学へ。師トーマス・クリスティアンの門戸を叩き、ウィーン市立音楽院に入学。翌年コンツェルト・ハウスでコンサート・デビューを飾り、その後ヨーロッパの主要なコンクールで数々の受賞を果たす。88年帰国後、群馬交響楽団、読売日本交響楽団のコンサートマスターを経、97年、34歳でNHK交響楽団のコンサートマスターに就任。以来、"N響の顔"として、ソリスト、室内楽奏者、指導者として、国内外で活躍中。96年より東京ジュニアオーケストラソサエティの音楽監督、2009年よりiichikoグランシアタジュニアオーケストラの芸術監督を務める他、WHO評議会委員を務め、そのコンサートにも熱心に取り組んでいる。最新CDは、馥郁たる香りがするヴァイオリン小品集「薔薇の騎士」。ヴァイオリン・ピアノ楽譜集「MARO's Palette」(監修)、エッセイ「ルフトパウゼ ウィーンの風に吹かれて」が出版されている。現在、桐朋学園大学非常勤講師、昭和音楽大学客員教授。

星野桃子(王子ホール支配人/チーフ・プロデューサー)

3歳で母の手ほどきを受けピアノを始める。母が歌う讃美歌や子守歌で育ち、小学校2年生のときにクラウディオ・アラウの来日コンサートを聴き衝撃を受け、彼のシューマンのピアノ協奏曲のLPを毎日聴くようになるなど、幼少よりクラシックをはじめ音楽や演劇に親しむ。漠然と抱いていたピアニストの夢は中学で諦め、東京女子大学短期学部教養学科卒業後、株式会社ジャルパックに就職。同社に約15年勤務し、自分の原点ともいえるクラシック音楽の世界で人と向き合っていきたいとの想いから1993年王子ホール入社。広報、宣伝、営業の各部を経て、2002年、チーフプロデューサーに就任。08年6月より株式会社王子ホール取締役。現在、支配人、チーフ・プロデューサー兼務。

 

――王子ホール開館から20年、星野さんが2002年にプロデューサーに就任してから今年でちょうど10年になります。この10年の王子ホールの企画のなかで一番大きな柱となるのがMAROワールドだと思うのですが、そもそもこのシリーズの構想はどこから生まれて、まろさんとはどのように企画を練っていったのですか?

星野桃子チーフ・プロデューサー(以下「星野」) この10年はもう無我夢中の一言ですね(笑)。私は、自分が小さい頃から親しんできたクラシック音楽に携わりたい、それも裏方として関わっていきたい、という想いからこの世界に転職しました。さまざまな業界の先輩方の薫陶を受け、自分の尊敬する人たちの仕事ぶりを見て、ああいう風になりたいという気持ちを持って仕事をしてきた。もし自分がプロデューサーになったらこういうコンサートをやりたい、ホールをこういう方向に持っていきたいというビジョンは自分の中に持っていたし、そのためにも時間が空けばクラシックのコンサートに限らず美術館から映画館から芝居小屋からあらゆる所へ出掛けて、いろいろなものを観たり聴いたりしました。夢は夢で終わらせたくないから。
 ホールのプロデューサーとして、たとえば海外の有名アーティストを招いてコンサートを開いたり、新人アーティストに活躍の場を与えたりすることも大事です。でも自分が一番やりたかったのは、この王子ホールという空間を最大限に活かせる、サロン的な空間づくりでした。一流の音楽とそれに見合う付加価値のある、「今日は楽しかったね、幸せだったね」という気分で帰っていただけるような場にしたい。親子代々通っていただけるようなコンサートシリーズを作りたい。そのためにはホストを誰にするかというのが重要なポイントになります。そういったことを念頭にいろいろなアーティストを見てきて、そのなかで最も惹かれたのがまろさんだった。この人はなにかやってくれるだろうと。

――それはまろさんのN響での活躍を見て、ですか?

星野 もっと遡るんです。群響時代から存在は知っていて、アルバムも聴いていましたけど、初めてコンサートに行ったのは読響に移籍してから。まず「ひええっ!」って思いましたね、なにしろ頭がド派手な金髪だったので(笑)。でも音がきれいなのはもちろん、燕尾服が似合うし、舞台に出てきたときの立ち姿が非常にサマになっている。舞台人としてすごく華のある人、というのが第一印象でした。それ以降は機会があるごとにコンサートに足を運ぶようになって、この人ならトークを交えた演奏会も面白そうだし、自分が想い描いていたサロンコンサートができるなと。

――その後まろさんが王子ホールに見えて、2人で直接お話しをすることになったそうですが、お互いどういった印象でしたか?

星野 ホールの事務所に上がってくるエレベーターの前でお待ちしていたんですけど、その扉が開いたときのまろさんの表情は忘れられませんね。

篠崎史紀(以下「まろ」) どんな顔してたの!?

星野 それまで目にしてきた舞台上のまろさんよりも繊細で、用心深そうだった。

まろ 確かにすごく用心深い(笑)。

――まろさんは「王子ホールのプロデューサーがお話をしたがっている」と聞いてどんな印象でしたか?

まろ 実は王子ホールからの声掛けがあったときは、「またか……」なんて気もしていたの。場所によっては単に予算が余ってるからと声をかけてきて、こちらが「ホールはどういうものを望んでいるんですか?」と訊ねると、「何でもいいから好きなことをやって」と。要するにホール側として何のアイディアもなくて、ただ予算を使うために何かをやりたがっている。それってホールとしてお客さんをその日限りの消費材扱いにしているってことでしょ。自分たちのホールをどうしたいかという展望もなければ、ホールに来るアーティストへの愛着もない。すべてを消費するだけのコンサートをやっている。僕はウィーンから日本に帰ってきて、そういう場所が多いのに嫌気がさしていた。僕としてはとにかく、客席が20とか30しかなくてもいいから、人がそこに集まることでアーティストもお客さんも育つ場所、スタッフも一緒に考えてくれる場所が欲しかった。だから星野さんと会って最初に言ったのもそのことだった。「ホールは一緒に考えてくれますか?」って。そうしたら星野さんはすごいアイディアマンで、音楽と他のジャンルとのコラボレーションに対してもすごく前向きだし、そこから生まれるであろう新しいものに対しての関心とか、未来へ向かっていくエネルギーがあった。だから会ってお話をして、3分もしないうちに「ここだな」って思った。

星野 私はまろさんにやってもらいたいことを具体的にいくつもリストアップしていて、初めてお会いしたときにそれを一気にまろさんにぶつけたの。呆れたと思うんだけど(笑)。

まろ いやいや、ぜんぜん呆れない。僕はすごくこだわりを感じた。自分のビジョンを大事に育てようとしている人だなって。

――MAROワールドは毎回1人の作曲家に焦点をあてるというのが基本的なコンセプトで、ときには異ジャンルのアーティストを招いてコラボレーションも行っていますが、この形態に定まっていくまでは、何度も話し合いを重ねたんですか?

まろ そもそも1人の作曲家を採りあげる演奏会ってリスクがあるんだよね。普通はデパートのようにいろいろなものを揃えるほうが好まれるから。しかもMAROワールドの第1回公演のテーマとして僕が提案したのはシューベルトだった。星野さんにも言われたけど、シューベルトって売れないんだよ(笑)。でも星野さんもチケット担当の人も、『こういうコンサートがあるんですよ』ってこの公演を一生懸命紹介してくれた。自分たちのホールを大事にして、自信を持って新しい演目を提示するというスタッフの心意気が嬉しかった。

星野 スタッフは「え、いきなりシューベルトですか!?」って思っただろうし、それなりにチケットセールスも苦労したんですよ。もちろん最初からそう簡単にいくとは思いませんでした。自分としては第3回公演ぐらいまでに軌道に乗せたいという気持ちで始めたんです。でもおかげさまで第1回公演もどうにか完売に漕ぎつけて、その後も順調に推移していきました。
 サロン全体をテーマとなる作曲家の色に染めるというのもMAROワールドのコンセプトのひとつだったんです。まろさんがワイズバッシュの版画やウィーンから持ち帰った骨董品なんかを展示用に貸してくださったり、ヨックモックさんにザッハトルテなどのお菓子を特別にご用意いただいたり、いろいろな協力があって実現しています。

まろ 僕としては自分がああしたい、こうしたいと思うことが全部実現しているから、本当に嬉しいね。

星野 でもお互いに黙って相手の要望を受け容れているわけではなくて、たとえばまろさんが「こういう若い演奏家がいるんだけど呼んでもいい?」って言ったら、必ず聴きに行きますよ。まろさんも「まず聴いてね」って言うし。

まろ やっぱりそこは自分の目と耳で確認してもらわないと。評判だけで物事を決めるのはよくない。

――お互いにいいと思うアーティストを提案するとのことですが、実際に見たり聴いたりして「この人はイマイチだな」と感じたことはありすか?

まろ それがないんだよ。やっぱり感性が合うんだろうね。だから企画を一緒に練っていくうえでも『ごった煮』にならないで、コンセプトに従ってキチッとまとまる。

星野 人を選ぶうえでも、この人なら間違いないなと安心できるところまで自分で確認しますしね。まろさんにも一緒に芝居を観にいっていただいたり、共演相手はしっかり確認してもらいますから。

まろ 思い返すと、コラボする相手の人も、一生懸命考えてくれる人を選んでいるよね。やっぱりただ目新しいからというだけで組み合わせるんじゃなくて、お互いが自分のフィールドを示すことによって新しいものが生まれないとやる意味がない。

星野 批判も当然ありますよ。「音楽会で余計なことをするな」と拒絶されたこともありますよ。

まろ タイトルだってふざけてるよね。音楽家仲間には『まろ』で通っているけれど、一般的には篠崎史紀という名前で出ているのに、ニックネームを演奏会のタイトルにするなんて(笑)。

――でもたとえば『篠崎史紀と仲間たち』という演奏会にはしたくなかった?

星野 私としては『まろ』という名前が独り歩きしだすだろうなという予感があった。憶えやすいし、愛すべきキャラクターになるだろうと。元宣伝マンの勘というか(笑)。

まろ 海外で演奏会をやるときはフミノリ・シノザキよりもマロ・シノザキのほうが圧倒的に使いやすいし、篠崎史紀よりも『まろ』を使っている期間のほうが長い。だから抵抗はなかった。

――MAROワールドではこれまで多くの若手アーティストを起用してきましたね。

まろ 世の中ではギャラの安さだとか使いやすさだとか、あるいは母校のつながりを考えたうえで、若手を紹介するような体裁をとることがある。でもMAROワールドの場合そうではなくて、何かをしようとしている演奏家を呼んだらたまたま若手だったというだけの話。若手を起用しているつもりもないし、若手を紹介しているつもりもないんだよね。「今日あそこでご飯食べるんだけど来ない?」って誘う感覚とまったく同じ。
 若いというのはそれだけで僕の中ではすごい才能なの。若いとムチャができる。人間は年齢とともにいろいろなものが見えてきて、あれをやったらこうなるなという展開も読めてくるし、無難な落としどころを探るようになってしまう。でも若いうちはそんなことを考えずに、周りに止められようが何しようが自分がやりたいことをがむしゃらにやったりする。僕は常にそういう勢いを持った人間を魅力に感じるわけ。たとえばヤス(鈴木康浩)とか祥平(上森祥平)はベルリンで一緒に食事をしたのが最初だった。まあ勢いのあるやつらでね(笑)。こいつら面白いなあと思って、出演を打診するときも「遊ばない?」って声をかけた。「演奏会があるんだけど出ないか?」なんて決して言わない。「何やるんですか?」って訊かれても、「楽しいこと」って(笑)。内容とかギャラについてはぜんぜん言わないで、とにかく一緒に遊ぼうよと。そうやって一緒に演奏するようになった連中がいろいろな仕事をするようになったというのが今の状態かな。

――そうやってMAROワールドも回を重ねて、やがてそこからさらに発展してMAROカンパニーという合奏団を組むまでになりましたね。その構想は昔からあったのですか?

星野 最初から短期・中期・長期の計画があって、まずはMAROワールドにお客さんを確実につけるための企画を3年かけてやりましょうと。その中では作曲家をテーマにしてサロンづくりをして、コラボもやるというのが課題だった。そして中期的には弦楽合奏団をつくりたいねって。

まろ これはすごいなと思った。まずホールのサイズからいって、合奏団をやるというのはものすごく負担が大きいわけ。だから合奏団をやりたいという話をしたときは、断られるかもなという心配があった。でも10年以内だったらOKしてくれるだろうと思って提案した。そしたら星野さん、10年どころか5年以内にやろうって(笑)。

――しかしいつもすごいメンツが集まりますよね。各地のオーケストラのコンサートマスターや首席奏者がこれだけ集結するアンサンブルも珍しいのでは。

星野 そこはまろさんの人柄ね、ほんとに。

まろ 一番大事なのは人が人を集めることだと思う。世の中お金で人を釣って義理を与えておいて、また次の義理につなげるようなことが多いじゃない。でもそうではない人の集め方のほうが健全だと思うんだよね。それが今ここでできているというのはすごくいいよね。

――MAROワールドでは通常ホールリハーサル期間を3日ほど設けていますが、皆さんお忙しいですし、ホールも別の公演で使用されていたりするので、21:30ぐらいから終電までリハーサルをするのが恒例になっていますね。

まろ それもびっくりしたの。ホールでリハーサルができることって珍しいんだよね。そのうえ夜のコンサートが終わった後もスタッフが残ってくれて、どうぞ使ってくださいって。これは素晴らしいことだよ。

星野 みんな「MAROワールドは夜中リハだからキツイんだよ」とか「ギャラは低いしさ」とかって断ることもできるんだけど(笑)、そこを楽しんでやってくれていると思います。12月にMAROカンパニーのクリスマス・コンサートをやるときなんて、みんな連日第九の本番があるし、ヤスなんて「ゴメン、今日はもう腕に力が入らなくて弾けないや」なんて言いながらも、いざ音合わせを始めるとキャッキャいいながらやっている。

まろ リハーサルをやっているのかだべりに来ているのかよく分からない状態だけどね(笑)。

星野 私のなかでは、MAROカンパニーから独立してコンサートができるようにしたいというのも中期計画のひとつでした。そして『お昼の名曲サロン』シリーズが生まれたことでそれが実現した。これもやはりMAROワールドでみんなが場数を踏んできたからできることなんですよね。

――MAROワールドの短期・中期の計画を順調にクリアしてきたわけですが、では長期的なプランはどうですか?

まろ 後はお客さんがどの演奏会であってもここのホールに来たくなるようになれば、それでもうOKなんだよ。演目が何かはあまり気にしなくても、あのホールに行けば何かに会えるという状態になればいい。具体的な内容となると、室内楽でこれから提示していきたいものなんてまだ山ほどあるから、そのどれを出していこうかっていうのがすごく難しい。それだけ作曲家が偉大だということなんだよね。これだけいろんな作曲家のいろんな作品が世界中で演奏されているのに、まだ新しい発見がある。それがクラシックの強さだね。

星野 なので折に触れて真剣に話し合って、数年先まで候補を並べていきますよね。

まろ 星野さんは僕がアイディアを提示するとそれを発展させてくれるのね。でも絶対に無理と言われたのがひとつだけあった。それはロッシーニの企画。食通のロッシーニが愛した美食をその場で調理するっていうのをやりたいんだけど、どうしても火を使わなきゃいけないし、消防法という厄介な問題が出てきてしまう(笑)。

星野 決して諦めたわけじゃないんですよ。いつか何らかのかたちで実現できるかもしれない。

まろ でもホールはいろんな我が儘を聞いてくれる。たとえばホール内の飲食はご遠慮願いますって言っているけどステージ上でワインを飲ませてくれたり(笑)。

星野 お客さんも演奏家もスタッフも全員で楽しめる演奏会をつくりたいっていう想いはあります。やる側が楽しんでいなかったら、お客さんを楽しませられるわけがない。

まろ 仕事を超えているよね。外から見ると僕が好き勝手にやっていると思われるかもしれない。でもそれは大きな間違いで、題名こそMAROワールドってなっているけど、スタッフ全員でやってるからね。椅子を選ぶために星野さんと遠出をしたこともある(笑)。

星野 そうそう、サロンの雰囲気にマッチした椅子を使いたいなと思って、レンタル業者さんの倉庫まで一緒に選びに行ってもらいました。でも実際にステージで使ってみると、みんな足の長さも違うしどうもうまくいかなくて、結局使うのを断念したことがあります。そういうちょこっとした挫折はありますね(笑)。

まろ 演奏会で大事なのは、お客さんがハッピーになること、演奏家がハッピーになること、そしてスタッフがハッピーになること。この3つが融合できないと演奏会が成り立たない。王子ホールではそれができていると思うし、日本では運営が非常に難しいとされる室内楽を上手に提示していると思う。

星野 まろさんも私もお互いに飽きたらやめようって言っているから、どこまでドキドキしながら続けていけるかというのが長期目標かな。でもまだまだやりたいことはたくさんある。これまでにやったパントマイムとの共演や、2011年の夏にやったキッズ向けのプログラムにしても、実際にやってみて見えたこともあるし、そのあたりをブラッシュアップしてまた上演したい。だから当分、飽きるということはなさそうですね。

まろ MAROワールドの本当の長期計画は、このまま誰かに受け継いでもらうこと。僕も星野さんもいない50年後にMAROワールドがあるかどうか。名前が変わるにしろ何にしろ、次の世代に受け継いでいくことが大事だよね、クラシックは伝承文化なんだから。

(文・編集:柴田泰正  写真:藤本史昭)

【公演情報】
王子ホール ニューイヤー・スペシャルコンサート
MAROワールド Vol.19 “バッハ Part Ⅱ”
by 篠崎“まろ”史紀 & MAROカンパニー

2013年
1月13日(日) 14:00開演(13:00開場)
1月14日(月・祝) 17:00開演(16:00開場)
全席指定 各日6,500円

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