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王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.6 

グレアム・ジョンソン

ピアノという仕事王子ホールマガジン Vol.34 より

数ある西洋楽器のなかでもメジャーな存在といえば、ギターやフルート、ヴァイオリン、そしてなによりピアノだろう。だがピアノで食べている人間はそう多くない――ほとんどの場合は子供のころの『お稽古』で終わるものが、長じて生活の糧を得る手段となるまでに、どういった変遷をたどるのだろう。この連載では王子ホールを訪れる、ピアノを仕事とする人々が、どのようにピアノと出会い、どのようにピアノとかかわっているのかにスポットをあてていく。

今回登場するのは余震の続く2011年4月、40年におよぶパートナーシップを組む名ソプラノのフェリシティ・ロットと来日し、感動的な歌曲の数々を届けてくれたグレアム・ジョンソン。歌曲伴奏の大家である彼はこの職業を、「『串打ち3年裂き8年、焼きは一生』とも言われるうなぎ職人の世界に似ていますね」と語る――

グレアム・ジョンソン(ピアノ)

1950年ローデシア(現ジンバブエ)に生まれ、ロンドンの王立音楽院とギルドホール音楽演劇アカデミーで学ぶ。72年ウィグモア・ホールで デビュー、マルティングスのマスター・クラスでピーター・ピアーズの伴奏を務めて以来、ピアーズとの共演を続ける。76年にはジェラルド・ムーアの後援を得てソプラノのフェリシティ・ロットらと演奏団体「ソングメイカーズ・アルマナック」を結成し、ロンドンを中心に公演活動を行った。歌曲伴奏のスペシャリストとして世界各地で演奏を続けている。

 

Q はじめにピアノとの出会いについてお話しください。

グレアム・ジョンソン(以下「ジョンソン」) 私はアフリカのローデシア、現在ではジンバブエと呼ばれる国で生まれました。私の祖母は音楽教師で、父は独学でジャズピアノを演奏していました。自宅にはイギリスのコラード&コラード社の古いアップライトピアノがあって、祖母も父もこの楽器で演奏していたので、自分もいつかは弾きたいと思っていました。レッスンを受け始めたのは7歳から。それまでは好き勝手に鍵盤を触って楽しんでいました。
 最初についたのは女性の先生で、実に素晴らしい方でした。両親は私に週2回、30分のレッスンを受けさせるのがやっとでしたが、先生はお金のことなど気にせず毎週6、7時間は教えてくださいました。朝の6時からレッスンをしていた時期もありましたよ。先生は14、15歳になるまで指導を続けてくれて、しかも奨学金を得てロンドンへ行けるように尽力してくださいました。

Q では小さい頃からピアノを続けたいとお考えだったのですか?

ジョンソン ずっとではありません。昔からピアノが好きでしたけど、一番やりたかったのは作曲でした。両親も私を音楽家にしたいとは考えていませんでした。ローデシアでは誰もが弁護士や医者になるように期待されていて、職業音楽家などまずいません。でも当時の自分にとってイギリスへ留学するというのは、内戦を抱え政情不安定な祖国からの脱出を意味していました。とにかくローデシアにはいたくなかったんです。

Q ロンドンでの学生時代についてお話しください。

ジョンソン ロンドンにやってきたのは17歳の頃で、一文無しでした。ピアノを練習する場所は限られていて、まず王立音楽院の練習室がありましたが、ここのピアノはひどい代物でした。しかし私は幸いなことに、ウィグモア・ホールのすぐ近くに住む老婦人と面識を得ました。彼女は古いヴィクトリア様式の邸宅にひとりでお住まいで、1914年製のハンブルク・スタインウェイを屋敷の1階にある広い部屋に置いて音楽院の生徒に自由に弾かせていました。
 私にピアノを教えてくれたのは、このピアノです。ピアノで何ができるのか、どんな音色を出せるのか、私はすべてこの楽器を通じて学んだのです。ひとつ確かなことは、50歳になって上等なピアノを手に入れても、それでは遅すぎる。若い頃にいいピアノを弾いて、その可能性を知ることが大事です。学生のほとんどは質の悪いピアノばかり弾かされるので、音色やタッチについて学ぶことができない。それではピアノの可能性を学べません。若いころに素晴らしいピアノにめぐりあえたのは、自分にとって幸運でした。
実はロンドンに行ってからは、ピアノへの情熱がさらに薄れていました。文学や作曲の勉強のほうがはるかに面白くて、20歳ぐらいになってもまだピアノを生涯の仕事にしようという気分にはなりませんでした。しかしあるとき転機が訪れたのです。
 それはベンジャミン・ブリテンが伴奏したピーター・ピアーズの「冬の旅」でした。このとき私は、ピアノが単なる楽器ではなく、『詩』なのだと悟りました。ピアノは木であり、葉であり、川でした。ピアノは歌をつくる言葉でした。私はこのときピアノが文学になりえるのだと理解し、この楽器を愛するようになったのです。その後はソナタもフーガも何でも勉強しましたし、指が回るように訓練を重ねました。ですが自分にとってのピアノは、あくまで言葉をより鮮明にするための道具なのです。そして歌曲には詩も文学も歴史も、すべてが詰まっている。だから私は伴奏者を志したのです。

Q 若い頃にソロ・ピアニストとして活躍したいという希望はありませんでしたか?

ジョンソン そういう時期もあるにはありました。7歳やそこらで「僕は伴奏者になるんだ」という夢をもつ子どもはいませんからね。私が志すに至った伴奏というのは、非常に奥深い専門職です。ショパンのスケルツォが弾けるからといって、シューベルトの歌曲が簡単に弾けるということにはなりません。文学や歴史や人間の声についての見識なしには務まりませんし、何年にも及ぶ経験がものをいう分野なのです。腕のいい心臓外科医がいたとしても、その人に自分の膝の治療はお願いしませんよね?
 伴奏は単なるピアノ音楽ではありません。生きた言葉を扱うものです。あるときバリトンのピエール・ベルナックに、なぜ歌手になったのかを訊ねたことがあります。彼はこう言いました。「自分が愛する詩を、より濃密に諳んじることができるからだ」。私にとってはピアノを弾くことが、自分の好きな詩を諳んじることなのです。伴奏を通じて詩を朗誦するのです。
 私は1930~50年代にかけて最高の伴奏者として活躍したジェラルド・ムーアに師事しました。彼が活躍した時代のソロ・ピアニストは歌曲に興味を示しませんでしたが、今日ではソロ・ピアニストが歌曲伴奏をするのがちょっとした流行のようになっています。けれども伴奏者のスキルというのは、歌手をより上手に歌わせることであって、前奏や間奏や後奏を上手に弾くことではありません。歌手の表現をどうやって引き立てるか、それが伴奏者にとっての挑戦です。そして時には歌手の教師となって、作品に関する全体像を提示するのも役割です。

Q 伴奏者を志してからはどのような日々を送ってこられたのですか?

ジョンソン 伴奏者として生きていきたいと思い至ってからは、まずレコードを手当たり次第に入手し、聴き比べました。レコードにはずいぶん散財しましたよ。次に楽譜です。何千、何万というイギリス、フランス、ドイツ歌曲の楽譜を集め、たくさんの作曲家の歌曲全集を揃えました。とにかくあらゆる印刷物を自分の所有にしなければ気が済まなかった。その後は「冬の旅」の初版をはじめ、様々な作品の初版を集めました。そしてここ15年ほどは、イギリス、フランス、ドイツ歌曲の作曲家が参照したであろう詩集をすべて、当時の版で集めています。シューベルトだけでも700曲、シューマンは300曲、ヴォルフも300曲あるわけで、これには大変な労力が必要です。詩集だけで何千冊という蔵書になりますから。これらの本を開いてくまなく読んでいくと、曲をつけた詩の前後で、作曲家がどんな詩を読んでいたのかが分かります。入手も難しければ値段も馬鹿にならないものばかりですけど、こうして文学作品を通じて作曲家と同じ文化的環境に身を置いているのです。そうは言っても私は決して裕福な人間ではありません。稼ぎをすべてこうしたものに費やしているだけです(笑)。

Q 伴奏は専門職だとおっしゃいましたが、他のピアニストとどう違うのですか?

ジョンソン 室内楽をやるピアニストと伴奏に徹するピアニストの違いでいうと、ヴァイオリン・ソナタには言葉がない。ですからその意味はさまざまに捉えられます。自分がどう考え、どう感じるかが大事なのです。しかし歌の場合はそこに言葉があり、文学的背景があり、詩人の生涯があり、その時代がある。つまり歌曲はソナタに比べて定義が厳格になるわけです。
 伴奏者は歌曲を演奏するときに、正しいテンポ、正しい雰囲気を作らなければなりません。私は自分と歌手の気持ちを合わせ、自律的に音楽づくりをすることに誇りを持っているのです。指揮者と楽団の関係は往々にして絶対的権力者とその配下の関係に似ていますが、伴奏者と歌手の関係はまったく対等であるべきで、まさに同僚です。フェリシティ・ロットは私の21歳の誕生日のゲストでした。ですから40年も一緒に演奏してきたわけです。私は彼女のオペラ界での成功には一切寄与していませんが、歌曲に関していえば特別な関係を築いてきました。多くの夫婦が40年ももたないというのに、これはすごいことですよ(笑)。現在の素晴らしい関係を築き上げるまでには、それだけの年月が必要だったのです。彼女をはじめ、ソングメイカーズ・アルマナックの仲間たちとはそうやって関係性を作り上げてきました。

Q 伴奏ピアニストとして生きていくことの難しさは感じますか?

ジョンソン 多くのピアニストは歌手と共に演奏することの楽しさや美しさに魅力を感じます。でも実際に演奏活動を始めると、経済的な限界がすぐに見えてくる。伴奏者が歌手と同等の報酬を得ることは決してありません。いつだって歌手のほうが多く稼ぐんです。歌手のほうが常に有名になるし、誰もが歌手のほうに多く注意を傾ける。歌手の子供は学費の高い学校に通えるけれども、伴奏者の子供は同じ学校には通えません。

Q その格差をどうやって埋めるのですか?

ジョンソン 「自分はこれだけ大変な思いをしているのに、それに見合う報酬がないじゃないか」と不満に思う人はたくさんいます。自分はもっと認められるべきだ、もっと称賛されるべきだと思うのです。けれども私のように詩や歴史を含めて歌に関するすべてを愛し、興味をもって取り組めば、決して不満には思わないはずです。私はたとえ自分にソリストとしてのキャリアを歩んでたんまり稼ぐ道があったとしても、そちらは選びません。ピアノ演奏そのものをそこまで愛してはいないからです。私が愛しているのはピアノを演奏することで歌にもたらせる効果なのです。ピアノのためのピアノを愛する人もいるでしょうが、私は言葉を生かすためにピアノができることを愛しています。
 それに『伴奏者』というのは非常に専門的な技能を持ち合わせた人間を指す用語なので、私は好きですね。自分がやることを全く恥ずかしいとは思わないし、素晴らしいレパートリーを扱っていると思っています。自分がなぜ伴奏者であることに誇りを持てるか。それは伴奏者として取り組むレパートリーの偉大さを誇りに思っているからなのです。

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:ムジカキアラ)

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