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インタビュー エマーソン弦楽四重奏団

王子ホールマガジン Vol.29 より

来日は実に11年ぶりとなった現代最高峰のカルテット、エマーソン弦楽四重奏団。王子ホールではこの6月に2夜連続でドヴォルザークとヤナーチェクの名作をとりあげ、舞台袖に戻るや「今のはブラボーだったでしょ!」と思わず自画自賛するほどの熱演を聴かせてくれた。これまでグラミー賞を8回受賞するなど申し分のない実績を残してきたビッグ・ネームだが、堂々と王道を行くというよりも、むしろ踏み跡のない土地を切り拓いていこうという姿勢が見てとれる。たとえばコンサートではチェロ以外のパートが立って演奏し、また後進の指導には最新技術を積極的に導入しようと考えている。しかも彼らの『音』を支える楽器は時価数億円のオールド・イタリアンではなく、ニューヨーク在住の職人が手がけたモダン・アメリカンなのである。ヴァイオリンのフィリップ・セッツァーとチェロのデイヴィッド・フィンケルに話を訊いた――

エマーソン弦楽四重奏団

1976年に結成。名称はアメリカの哲学者・詩人のラルフ・ウォールド・エマーソンに由来している。87年よりドイツ・グラモフォンと契約を結んでおり、30タイトル以上のCDをリリースして高い評価を獲得。これまでにグラミー賞を8回(うち2回はベスト・クラシカル・アルバムとして)、グラモフォン賞を3回、また室内楽の団体としては初めての受賞となるエイヴリー・フィッシャー賞を受賞している。ニューヨーク、ロンドン、ウィーンを結んで行ったベートーヴェン、バルトーク、およびショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲ツィクルス等、30年以上にわたって第一線で活躍を続けている。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のレジデント・カルテットとして学生の指導にあたるほか、カーネギー・ホールの教育プログラムであるワイル・ミュージック・インスティテュートでも指導を行う。第1・第2ヴァイオリンは交代して担当され、チェロ以外の3名は立って演奏するスタイルをとっている。

ユージーン・ドラッカー(ヴァイオリン)
創設メンバー。1976年コンサート・アーティスト・ギルド・コンクールの優勝者としてニューヨーク・デビュー。作家としても知られ、著書「救世主」が2007年に出版されている。カルテットでは解説文などの書き物を担当している。演奏楽器は1686年ストラディヴァリウスおよび2002年サミュエル・ジグムントヴィッチ製ヴァイオリン。

フィリップ・セッツァー(ヴァイオリン)
創設メンバー。アイザック・スターン室内楽ワークショップ(ニューヨーク、エルサレム)の講師を務めるほか、ニューヨーク州立大学の教授を務め、世界中の音楽院でマスタークラスを行っている。カルテットのプログラミングにおいて中心的役割を果たしている。演奏楽器は1999年サミュエル・ジグムントヴィッチ製ヴァイオリン。

ローレンス・ダットン(ヴィオラ)
イーストマン音楽学校在学時にヴィオラに転向。マンハッタン音楽学校およびニューヨーク州立大学ストニーブルック校でヴィオラおよび室内楽科の教授の他、各地で講師を務めている。カルテットでは財務関係を担当している。演奏楽器は1796年P.G.マンテガッツァおよび2003年サミュエル・ジグムントヴィッチ製ヴィオラ。

デイヴィッド・フィンケル(チェロ)
アメリカ人として初めてロストロポーヴィチに師事。インターネットをベースとしたレコード会社を立ち上げ、これまで10枚以上のCDをリリース。リンカーン・センターの室内楽協会や各地の音楽祭で芸術監督および講師を務めている。カルテットのブログ更新をはじめIT関係を担当。演奏楽器は1993年サミュエル・ジグムントヴィッチ製チェロ。

 

現代の名品

――皆さんサミュエル・ジグムントヴィッチの製作による楽器をお使いですが、全員が新作の楽器を使用しているカルテットはかなり珍しいのではないでしょうか。どういった経緯でこの楽器を使うようになったのですか?

デイヴィッド・フィンケル(以下「フィンケル」) ジグムントヴィッチはポーランド系アメリカ人で、私が彼の楽器の音を初めて聴いたのはたしか1986年ごろのことです。最初はストラディヴァリウスの名品ではないかと思いました。姿も美しいし、音色もびっくりするほど素晴らしかった。それが驚いたことに、ブルックリン在住の製作者がほんの2週間前に作った楽器だというんです。もはや奇跡としか思えなかった。
 それから程なくして彼に、当時ロストロポーヴィチが所有していた有名なストラディヴァリウスのコピーを依頼しました。製作には5年かかり、完成したのが1993年。出来立ての状態ですでに見事な音を出していましたよ。それ以来ずっとそのチェロを使っています。自分がジグムントヴィッチを使い始めてから徐々にカルテットの面々にも広まっていきました。

フィリップ・セッツァー(以下「セッツァー」) 楽器には非常に満足していますよ。現代の弦楽器製作者としては世界でもトップクラスの人物ですね。

フィンケル 価格も世界最高レベルですけど(笑)。

――ということは、今日の弦楽器製作の中心地は、必ずしもクレモナとは言えないと?

セッツァー そういうことになりますね。たとえばユタ州のソルトレイク・シティにはとても有名な弦楽器製作学校があって、ジグムントヴィッチをはじめ多くの優秀な製作者がそこから育っています。今ではストラディヴァリウスをはじめ古い銘器がもう手の届かない価格になってしまったので、一般の人ではまず買えない。だから新作の楽器の需要はかなり高まっていて、大きなマーケットが形成されているんです。

――今回のツアーでは全員ジグムントヴィッチをお使いですか?

セッツァー ドラッカーの楽器は現在メンテナンス中なので、彼は今回ストラディヴァリウスを使っています。ですがたいていはジグムントヴィッチで統一していますよ。

立奏スタイル

――演奏スタイルについてお訊ねします。2001年からチェロ以外が立って演奏するようになったとのことですが、何かきっかけがあったのですか?

セッツァー 立奏をはじめたのは、結成25周年のときにショスタコーヴィチをテーマにした「ノイズ・オブ・タイム」という演劇作品に参加したのがきっかけでした。これはサイモン・マクバーニーという演出家の作品で、彼が率いる『コンプリシテ』というカンパニーと共演しました。
 この作品で我々が演奏したのは、ショスタコーヴィチの最後の弦楽四重奏曲。ただし普通に座って演奏するのではなく、ステージを動きまわって演奏するよう求められました。その後この作品とはまた別に、こんどは椅子に座ってショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を弾くことになりました。しかし演奏していてどうもしっくりこない。何か違うような気がしたんです。そんな状態で25周年の記念コンサートを迎えたのですが、ハイドンの弦楽四重奏曲を6曲弾くことになっていて、そのリハーサルの最中にフィンケルから「立って演奏してみたらどうだろう」という提案があったんです。実際に試みてみたところあまりにしっくりくるので、以後は座らずに演奏するようになったわけです。

フィンケル 演劇畑での経験は我々の演奏の幅を拡げてくれました。おかげで昔よりもフレキシブルになったと言えるでしょう。

未来志向の教育

――次に教育について伺います。エマーソン弦楽四重奏団はニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のレジデントになっていますが、その他にはどこで教えていますか?

フィンケル もちろんマスタークラスなどはお話があればどこでもやりますよ。客員としての指導は頻繁に行っています。たとえばアスペン音楽祭でも客員教員として若手のカルテットをコーチしています。

セッツァー 他にもアイザック・スターン室内楽ワークショップというのがあって、ニューヨークのカーネギー・ホールとエルサレムで集中指導することがあります。こういう集中コースはストーニーブルックでも夏期に実施しています。
 実は今、インターネットを活用した指導ができないだろうかと模索しているところなんです。遠く離れた場所にいる生徒もコーチできるようになりますからね。実現すれば自分たちがニューヨークにいながら、ある日は日本の生徒を指導して、別の日にはウィーンの生徒を指導するということが可能になります。

――実現は難しそうですか?

フィンケル 基本的にはモニターとビデオカメラがあれば、お互いに演奏を確認できるわけですよね。現時点では『インターネット2』という教育・研究機関用の高速インフラを使えるので、他のユーザーのトラフィックに影響を受けることなく回線を使用できます。回線さえしっかりしていれば、あとはシンプルなやり取りで済むんです。

――いつ頃から本格的にオンライン指導を始める予定ですか?

フィンケル できれば2011年からスタートしたいと考えています。まず設備面が整っている国で生徒を見つける必要がありますけど、だいたいのところは対応可能だと思います。日本滞在中にも話をしてみて、実現できそうならばパートナーシップを組むことになるでしょう。

――韓国などもインフラがかなり整備されているようですが?

フィンケル 韓国ではLGコーポレーションと提携しています。LGはコンサートホールも持っているし、室内楽の学校にも出資している。そしてもちろんあらゆるテクノロジーも完備しています。これからどうなるか、とてもワクワクしているところです。

セッツァー ネットを介して指導できるようになれば、より多くの生徒とコンタクトを取れるようになるわけで、たとえばストーニーブルックで生徒を指導する様子をWebサイトに載せれば、リアルタイムで観ることも可能だし、1週間後でも1年後でも閲覧が可能になります。こうしたテクノロジーの力があるのだから、それは教育に活かしていくべきでしょう。

フィンケル 仮に韓国で10日間のワークショップを開催するとして、その半年前に参加グループの演奏をニューヨークで聴いてある程度のアドバイスをしておくことができれば、実際にワークショップで顔をあわせるまでに準備を整えられますよね。あるいは逆に一定期間の指導を行った後、1ヶ月かそのぐらいしてから「調子はどう?」と確認することだって可能です。

――そのうち集まらなくてもリハーサルができるようになる日が来るのでしょうか?

セッツァー そうなれば私は家から出ませんよ(笑)。

フィンケル まあ……おそらくはムリでしょうね(笑)。直接顔をあわせるというのはいつだって特別なことだし、『ライブ』に代わるものはないと思います。

これからの世代と室内楽

――アメリカの音楽シーンにおける若手音楽家の室内楽への取り組みは、以前と比べて変化していますか?

フィンケル 室内楽への熱はかつてないほどに高まっていますね。理由のひとつは、音楽学校で室内楽コースの履修が必須となっていること。それは別としても、ソリストとして生活をしていくのが非常に困難で、なおかつ孤独でもあるという事実に多くの学生が気づいています。かといってオーケストラの団員になって何百という人の中に埋もれたくない人間にとって、室内楽はその中間であり、より多くの可能性がある。一人立ちしているけれども仲間がいるから安心なんです(笑)。

セッツァー それにオーケストラにいると指揮者の言うことを聞かなければならないけれど、室内楽ではもっと自由に自分を出せます。

フィンケル カルテットに関していえば、このジャンルだけで何百という名作があるから、それだけ充実した演奏家人生を歩めますよね。

セッツァー カルテットをやりたがる生徒は多いものの、昨今は競争が激しすぎてカルテットだけで食べていくのは難しい。だからまずオーケストラに所属して生活を安定させて、そのうえでカルテットなりピアノトリオをやるといいんじゃないかと提案することが多いんです。若いし色々なことを試す時間はあるわけですから。

エマーソン弦楽四重奏団のこれから

――最後の質問ですが、30年以上にわたって実績を残してきた皆さんの、この先の目標は?

フィンケル 今まさにこの先10年の長期計画を練っているところなんですが、まずは今後も必要とされ、生き永らえることが大事です(笑)。それと同時にこれまでやりたいと願ってきたことをすべてやっておきたいとも思う。ですからどの作品を録音し、どこでどんなコンサートをやるべきか、とても難しい判断をしなければなりません。申し分のない10年を過ごすために知恵を絞っているところです。

――具体的な計画があれば教えていただけますか?

フィンケル これまでたくさんの録音を残してきてきたけれども、開拓したい分野はまだまだあるんです。たとえば最近になってドヴォルザークの3枚組を制作しましたが、それ以前はドヴォルザーク作品を1曲しかレコーディングしていませんでした。これまでシェーンベルクもアルバン・ベルクも録音していませんし、取り組むべき分野は少なからずあります。

セッツァー それから他の演奏家とのコラボレーション。

フィンケル そう、たとえばブラームスの六重奏曲やモーツァルトの五重奏曲。すべてをレコーディングすることはできないでしょうけど、大事な作品は残していきたいですね。

セッツァー 自分たちの学んできたことを引き継いでもらうために、若手のグループや演奏家への指導も続けていきたいと願っています。その一環として自分たちの活動を映像に収めて、インターネットなどのテクノロジーを活用できればと考えています。「ノイズ・オブ・タイム」は大いに楽しめたので、その再演あるいは新たな演劇作品への参加も面白いでしょうね。まだまだやるべきことは山ほどあります。隠居するには早すぎる(笑)。

(文・構成:柴田泰正 写真:横田敦史 協力:アスペン)

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