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王子ホールマガジン 連載
ピアノという仕事 Vol.2 

ミシェル・ダルベルト

ピアノという仕事王子ホールマガジン Vol.29 より

数ある西洋楽器のなかでもメジャーな存在といえば、ギターやフルート、ヴァイオリン、そしてなによりピアノだろう。だがピアノで食べている人間はそう多くない――ほとんどの場合は子供のころの『お稽古』で終わるものが、長じて生活の糧を得る手段となるまでに、どういった変遷をたどるのだろう。この連載では王子ホールを訪れる、ピアノを仕事とする人々が、どのようにピアノと出会い、どのようにピアノとかかわっているのかにスポットをあてていく。

第2回のゲストはこの5月の王子ホール公演で圧巻の演奏を披露してくれたミシェル・ダルベルト。ピアノの神童を現代の巨匠に育て上げたのは、徹底した英才教育ではなく、むしろ『ごく普通の』教育と純粋な音楽への愛のようだ――

ミシェル・ダルベルト(ピアノ)

パリ生まれ。1975年にクララ・ハスキル、78年にリーズ国際ピアノ・コンクールで優勝。ソリストとして、また室内楽奏者として際立った存在であり、レコーディングにも積極的である。96年にはフランス政府から国家功労勲章を授与された。2006年放映のNHK「スーパーピアノレッスン」では講師を務め、エスプリに富んだ演奏を披露。「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」でも、メイン・ゲストの1人として来日している。

 

 

Q まずはピアノとの出会いについて、そしてどのような教育を受けてこられたのかを教えてください。

ミシェル・ダルベルト(以下「ダルベルト」) ピアノと出会ったのは3歳のときでした。両親がクリスマスにおもちゃのピアノをプレゼントしてくれたのです。普通の子供であれば1週間で壊してしまうのでしょうけど、私はラジオで流れていたメロディをそのピアノで弾こうと夢中になっていたそうです。その様子を見て「この子には正式なピアノ教育を受けさせたほうがいいだろう」という話になり、先生について週1回のレッスンを受けるようになりました。5歳半のときにはバッハ、モーツァルト、ショパンの小品を並べたコンサートを開きました。この演奏会のことは憶えていないのですが、録音が残っています。その後パリのコンセルヴァトワールに入学して、12歳からはヴラド・ペルルミュテール先生のもとで学ぶようになりました。もちろん17歳になるまでは一般の学校にも通っていましたよ。

Q 日中は一般の学校に通って、その後コンセルヴァトワールに行くのですか?

ダルベルト そうです。「音楽をやるのは結構だが、バカロレア資格を取るまでは普通の学校に行くように」というのが父の教育方針でした。ですから最初からプロを目指してピアノをやっていたわけでもないんです。当時のパリでは芸術を志す生徒のためのシステムが確立されていて、午前中に通常のクラスを受講し、午後にはそれぞれ音楽やバレエや美術の専門校に通えるようになっていました。

Q 5歳半という非常に早いデビューでしたが、その後も子供のころからリサイタルを開いていたのですか?

ダルベルト いいえ、両親は非常に慎重でした。というのも5歳で行ったコンサートのあとに、人々があまりに熱狂的になったので空恐ろしくなったのだそうです。そしてピアノの先生に「この子には普通の子供時代を過ごさせたい。他の子たちと同じように学校に通わせたいし、特別扱いをしないでほしい」と念を押したと聞いています。世の中には「音楽だけに集中させろ」とか「もっと練習をさせろ」と主張する人もいますが、その結果まったくもって文化的素養がなく、世間知らずで、歴史も文学も地理も知らない音楽家が多く育ってしまう。残念なことです。

Q プロの音楽家を意識するようになったのはいつごろからですか?

ダルベルト コンセルヴァトワールに入学して真剣に音楽に取り組むようになってからは、自然とプロの音楽家になるのだと考えるようになりました。決してある日突然「プロになるんだ!」と思いついたわけではありません。今になって考えると、自分はいつも音楽に夢中でした。ピアノに魅了されていたというよりも、音楽を熱烈に愛していて、たまたまピアノを弾いていた。だからピアニストになったのです。

Q プロとしての活動はいつ頃から始まったのですか?

ダルベルト 国際コンクールに出場するようになってからですね。1975年には2つのコンクールに出場しました。ザルツブルクで行われたモーツァルト・コンクールでは1位なしの2位、それから9月にクララ・ハスキル・コンクールで優勝して、そこからプロとしての活動が始まりました。

Q その後はもちろんソリストとして活躍されたわけですが、指揮活動もなさっていますよね。

ダルベルト 20年ほど前からやっています。もちろんメインはピアノですから指揮に全力を注いでいたとはいえませんが、指揮のオファーがあれば喜んで受けていました。ですがなぜだか2、3年ほど前からどんどん指揮への興味が増してきました。学生のときから管弦楽やオペラのレパートリーを勉強してきたので、頭の中にはオーケストラのレパートリーがかなり蓄積されているんです。

Q あとはそれを披露する機会があれば、ということですね。指揮をすることでピアノへの取り組み方に変化は生まれていますか?

ダルベルト 長年にわたって私は『指揮もするソリスト』として演奏してきたのだと思います。それがここ数年は、まぎれもない指揮者として演奏できるようになった。面白いことに、今ではピアノを弾くときもピアニストとしてではなく、指揮者としての意識を持って弾くようになりました。一種の逆転現象ですね。ですからピアノに対する取り組み方がガラリと変わりましたし、色々な人から私のピアノ演奏が『管弦楽的』だと評されるようにもなりました。

Q ではピアノに対しても、指揮者がオーケストラに向かうような姿勢で向き合っているわけですね?

ダルベルト ええ。生徒を教えているときも、オーケストラをたとえに出すことが良くあります。「もしこの作品が管弦楽曲だとしたら、このフレーズはどの楽器が奏でる?」とね。ピアノのための音楽を、どうやってオーケストレーションするのかを意識することが大切なのです。

Q 教える機会は多いのですか?

ダルベルト 多くはありませんが、自分のためにも非常に有益なので、教える機会を増やしたいとは考えています。生徒に学んでほしいというのはもちろん、私だってレッスンを通じてなにかを学びたいし、何より生徒たちと会話をするのがとても楽しみです。というのも彼らはいわば私の後継者なわけで、将来を担う演奏家たちが何を考えているのかをレッスンを通じて知りたいという気持ちがあります。

Q 最近はもっぱら指揮に集中しているということですが、ピアノは続けますよね?

ダルベルト 人々がそう望むのなら……ですが難しいところですね。まずひとつはっきりしているのは、『二足のわらじ』は成立しないということ。私は誰一人として、指揮をやりつつピアニストやヴァイオリニストとして最高の状態を保てた人間を知りません。自分とて例外ではありませんよ(笑)。
 もうひとつ言えるのは、弾きたい曲はもうすべて弾いてしまったということ。これ以上ピアノのレパートリーを開拓したいとは感じなくなってきました。自分が弾きたくてたまらなくなるような新作にも出会っていません。弾きたい曲をすべて弾き、録音も残してきたので、とても恵まれていますね。非常にいい状態でシューベルトの全ピアノ作品を録音できたことも僥倖に感じています。もちろん室内楽も歌手の伴奏も大好きなので、それは今後も続けていくでしょう。

Q 室内楽や歌曲の伴奏についてもう少し詳しくお話いただけますか?

ダルベルト ピアノ・ソロであっても室内楽であっても、あるいはオーケストラや歌手との共演であっても、音楽は音楽です。大事なのはいい音楽を演奏し、音楽を楽しむこと。「冬の旅」の伴奏をするのもラヴェルの「夜のガスパール」を弾くのも、私は等しく楽しんでいます。リハーサルを通じて他の音楽家と意見を交換し、視野を広げるというのは大事なことで、ジェシー・ノーマンやバーバラ・ヘンドリクスとの共演を通じて私は多くを学びました。彼女たちの伴奏を経験していなかったら、音楽家としてずっと貧しい人間になっていたでしょう。

Q では若い世代の音楽家も、もっと室内楽を経験すべきだとお考えですね?

ダルベルト もちろんです。生徒と一緒に室内楽のレパートリーを学ぶこともあります。それが私の教師としての務めだとも思っています。もし教え子に「室内楽はやりたくありません」などと言われたら、「お帰りはあちらですよ」と返すでしょうね(笑)。

(文・構成:柴田泰正  写真:藤本史昭 協力:パシフィック・コンサート・マネジメント)

【公演情報】
ミシェル・ダルベルト

2011年10月25日(火) 19:00開演(18:00開場)  

全席指定 価格未定

ベートーヴェン、フランク、ドビュッシー作品を予定

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